2017年08月17日

鎌倉検定−鎌倉公方の誕生(1335年12月8日)を読む(3)

 鎌倉検定合格を目指して、「読んで分かる中世鎌倉年表」(→ココ参照)を読みながら、今の鎌倉を見てみましょう。

 今回は、「室町幕府の成立」です。
B建武2年(1335)12月8日
 足利尊氏が鎌倉を出立し、後醍醐天皇が下した新田義貞らの官軍を11日に箱根・竹ノ下で破る。
 足利軍は西上し翌年正月に京都に入るが、官軍の攻撃を受け1ヶ月ほどで九州へ敗走する。
 しかし尊氏は軍勢を立て直して東上し、持明院統の光厳上皇を奉じて6月14日に入京。そののち後醍醐天皇との講和が結ばれ、11月7日には建武式目によって新しい幕府の政治方針が定められる(室町幕府の成立)。

建武式目とは
 室町幕府が示した施政要項。是円兄弟が、尊氏の諮問に答える形になっています。
 倹約や守護任命の心得、裁判の公正など、17条を定めたものです。

足利尊氏(1305〜1358年)
 足利貞氏の子。室町幕府初代征夷大将軍
 後醍醐天皇とともに鎌倉幕府を倒したのち、光厳上皇の院宣により即位した光明天皇を擁立、1338年、征夷大将軍となり、京都に「室町幕府」を開きました。

足利尊氏に関連する寺院をまとめてみました
金龍山宝戒寺

(右は、参道横に建つ北条執権邸旧蹟の石碑)

※このお寺については、「鎌倉小町のお寺を見る(金龍山)」を参照。
・1335年、後醍醐天皇が北条一族の霊を弔うため、足利尊氏に命じて北条氏の執権屋敷跡に建立させました。
・天台宗。本尊は「子育経読地蔵大菩薩」。
  宝戒寺石碑.JPG
泉谷山浄光明寺

(右は、客殿)

※このお寺については、「鎌倉扇ヶ谷のお寺を見る(泉谷山)」を参照。
・1335年、「中先代の乱」で、足利尊氏は、後醍醐天皇の許可を得ないまま京都を発して鎌倉を奪回しました。しかし、後醍醐天皇から謀反の疑いをかけられ浄光明寺に蟄居し、ここで後醍醐天皇を裏切る覚悟を決めたということです。
・寺は、足利尊氏、直義兄弟の帰依は厚く、寺領や仏舎利の寄進を受けました。
  浄光明寺客殿.JPG
宝亀山長壽寺

(右は、山門)

※このお寺については、「北鎌倉のお寺を見る(宝亀山)」を参照。
・1323〜1336年のころの創建で、開基は足利尊氏
・境内奥には、足利尊氏の遺髪を埋めたと伝えられる変形の五輪塔があります。
  長壽寺山門.JPG
新居山圓應寺

(右は、山門)

※このお寺については、「北鎌倉のお寺を見る(新居山)」を参照。
・1250年創建で、この寺はもともと鎌倉大仏の近くにあったが、足利尊氏が由比ヶ浜に移築し、その後、1703年に起きた大地震後に、現在の地に移ったといわれています。
・本尊の「木造閻魔大王坐像」が、本堂の真ん中に祀られています。
  圓應寺山門.JPG
鷲峰山覚園寺

(右は、山門)

※このお寺については、「鎌倉二階堂のお寺を見る(鷲峰山)」を参照。
・鎌倉最大の茅葺きの薬師堂の天井には、足利尊氏が書いた棟札があります。
・本尊の「木造薬師三尊坐像」、「十二神将立像」などが安置されています。
  覚園寺山門.JPG

源頼朝の祖先と足利家との関係
 源頼朝の祖先や足利家の系図.jpg

 
posted by トシ999 at 14:04| Comment(0) | 鎌倉検定 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月11日

鎌倉検定−鎌倉公方の誕生(1335年7月25日)を読む(2)

 鎌倉検定合格を目指して、「読んで分かる中世鎌倉年表」(→ココ参照)を読みながら、今の鎌倉を見てみましょう。

 今回は、「中先代の乱」です。
A建武2年(1335)7月25日
 北条高時の遺児時行が信濃国で反乱を起こし(中先代の乱)、武蔵女影原(埼玉県日高市)・小手指原(埼玉県所沢市)・府中(東京都府中市)の諸戦で足利軍を撃破して、この日鎌倉に入る。
 これより先22日に、足利直義は成良親王・足利義詮(尊氏の嫡子)とともに鎌倉を出て、東海道を西へ敗走する。直義はこの時、護良親王を殺させている。
 足利尊氏は後醍醐天皇の許可を待たず京都を発ち、東下して時行軍と戦い、8月19日に鎌倉を奪回する。

北条時行(? 〜1353年)
 鎌倉幕府最後の得宗・北条高時の次男。
 1333年に北条氏が滅亡した際、幼子だった彼は脱出に成功し、御内人である信濃の諏訪氏の下で養育されました。

・時行は、北条氏復興のため「中先代の乱」を引き起こし、足利直義軍を打ち破り、一時鎌倉を奪還したが、足利尊氏に奪回されました。
・その後、南朝に属して北畠顕家・新田義興らに従い、再度鎌倉を占領したが、1353年、足利氏に捕えられ殺害されました。

「中先代」とは
 「先代」(鎌倉幕府執権の北条氏)と、「後代」(室町幕府を開いた足利氏)の中間にあたることからそう呼ばれたということです。
 また、鎌倉支配が20日余りしか続かなかったことから、「二十日先代(はつかせんだい)」とも呼ばれています。

護良親王の最期
 足利尊氏と対立した護良親王は、鎌倉二階堂の「東光寺」に幽閉されました。
 そして、「中先代の乱」の混乱の中で、尊氏の弟の直義の命で、家来である淵辺義博(ふちべのよしひろ)によって殺害されました。

宮内庁管理の「護良親王の墓」
 二階堂の永福寺跡の近くに、あります。
 護良親王の墓入口.JPG

 護良親王の墓.JPG

「護良親王の墓」の入口そばには、「理智光寺址」の石碑があります
理智光寺址.JPG
この場所は、僧の願行上人(がんこうしょうにん)が開いた五峯山理智光寺の跡です。

1335年に「淵辺義博」は、「足利直義」の命令で、「護良親王」を殺害しましたが、その死に顔のすごさに怖れ、首をかたわらの藪の中に捨てました。

それを当時の僧侶が拾って、山の上に埋葬したということです。

大町の「妙法寺」にもある「護良親王の墓」
 「日叡」が「護良親王」と「南の方」との子どもだといわれており、その日叡が亡き父、護良親王の菩提を弔い、「妙法寺」を再興したということです。
 妙法寺護良親王の墓.JPG

護良親王の系図
 護良親王系図.jpg

 
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2017年08月10日

鎌倉鶴岡八幡宮のぼんぼり祭は終わりました 2017.8

鎌倉の夏の風物詩、「ぼんぼり祭」は、9日で終了しました。
 →「鎌倉鶴岡八幡宮のぼんぼり祭 2017.8」を参照。

※今回は、夜の様子です。
夜6時半〜7時前くらいまでの様子(まだ明るいです)
 ぼんぼり祭夜1.JPG

 ぼんぼり祭夜2.JPG

夜、6時半から、巫女さんにより各所のぼんぼりに点灯作業が開始されました
 巫女さん1.JPG

 巫女さん2.JPG

昼と夜では、ぼんぼりの雰囲気も少し違うようで面白いです (左:昼、右:夜)
蛭子能収ぼんぼり.JPG 蛭子さん.JPG

榎木孝明ぼんぼり.JPG 榎木さん.JPG

竹中直人さんもご自分のぼんぼりの前で記念撮影に応じていました
 竹中さん.JPG

 
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