2019年03月22日

鎌倉の海の旧跡稲村ヶ崎のこと−(2018年鎌倉検定1級の問題から)

2018年11月に行われた鎌倉検定1級の問題をひも解いて、鎌倉をよく知りましょう。

今回は、「鎌倉の海の旧跡稲村ヶ崎について」です。
[5] 次の文の〔 @ 〕,〔 A 〕に最も適当な語句を書きなさい。
 (52) 〔 @ 〕,〔 A 〕ともに漢字で書きなさい。
  稲村ヶ崎は,現在,海岸公園として整備され,新田義貞の石碑の他,1908 年(明
 治41)に弟子の〔 @ 〕と鎌倉を訪れた近代細菌学の祖といわれるドイツ人医学者
 ロベルト・コッホの記念碑や,1910 年(明治43),七里ヶ浜沖でおきた〔 A 〕
 中学生のボート転覆海難事故の慰霊碑がある。
 

 ・「稲村ヶ崎」は、さまざまな逸話の残る岬です。
 
正解は、「@北里柴三郎 A逗子開成」です。 

稲村ヶ崎(東側からと西側から)
 稲村ヶ崎東側.JPG

 稲村ヶ崎西側.JPG

・極楽寺から続く山並みが海岸まで延びて海中に突出する岬で、東側は断崖となっています。
・かつては、この岬の東側を「霊山ヶ崎」、西側を「稲村ヶ崎」と呼んでいたともいいます。

・東の由比ヶ浜と西の七里ヶ浜の境界にあたり、鎌倉の海を分けている岬でもあります。
・名前の由来は、岬の形が稲の束を積み上げた稲むらに似ているところから名付けられたといわれています。 

「かながわの景勝50選 稲村ヶ崎」の石碑の向こうに、江の島と富士山
 稲村ヶ崎石碑.JPG

黄金の太刀と龍神の伝説がある「新田義貞徒渉伝説地」の石碑
 新田義貞徒渉伝説地.JPG

近代細菌学者の祖といわれるドイツ人「ロベルト・コッホの記念碑」
 ・1908年(明治41)に弟子の「北里柴三郎」と鎌倉を訪れた記念の碑です。
  (1983年(昭和58)霊仙山から移転)
 ロベルト・コッホの記念碑.JPG

 ロベルト・コッホの記念碑解説板.JPG

逗子開成中学生のボート転覆海難事故の慰霊碑
 ・1910年(明治43)、逗子開成中学の生徒ら12人が七里ヶ浜沖合で遭難死しました。
  その慰霊、追悼のために生まれた歌「七里ヶ浜の哀歌」によっても世に知られるよう
  になりました。
 ボート転覆海難事故の慰霊碑1.JPG

 ボート転覆海難事故の慰霊碑2.JPG

 
posted by トシ999 at 08:00| Comment(0) | 鎌倉検定(過去問) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月21日

源義経と兄頼朝のこと−(2018年鎌倉検定1級の問題から)

2018年11月に行われた鎌倉検定1級の問題をひも解いて、鎌倉をよく知りましょう。

今回は、「源義経と兄頼朝について」です。
[5] 次の文の〔 @ 〕,〔 A 〕に最も適当な語句を書きなさい。
 (51) 〔 @ 〕,〔 A 〕ともに漢字で書きなさい。
   源義経は兄頼朝に鎌倉入りを拒絶されると,その手前まで来て〔 @ 〕寺に留
  まり,頼朝の怒りを解こうとしたが許されず,大江広元に力添えを頼む書状を出し
  た。この書状が〔 A 〕である。
 

 ・1185年、源義経は、腰越から兄頼朝へのとりなしを依頼する腰越状を送りました。
 
正解は、「@満福 A腰越状」です。 

龍護山満福寺(腰越)
 ・真言宗。744年、聖武天皇の勅命で、「行基」が建立した寺と伝えられています。
 満福寺山門.JPG
 ※このお寺については、「鎌倉腰越のお寺を見る(龍護山)」を参照。

弁慶筆と伝えられる「腰越状」の下書き
 腰越状.JPG
 ※自分には功績があっても罪はなく、野心もないのに許されない。私に誤りが無い事を
  認めいただいて、お許しに預かりたいと、頼朝の仕打ちを嘆き、肉親の情に訴える
  内容となっています。

  「腰越状」は頼朝には受け入れられず、義経は奥州で不遇の死を遂げるが、その首が
  検分されたのもこの寺でした。

本堂前には、「義経と弁慶の石像」があります
 満福寺本堂.JPG

※源義経の行動については、「鎌倉検定−頼朝の鎌倉入り(1185年5月24日)を読む(7)」を参照。

 
posted by トシ999 at 08:00| Comment(0) | 鎌倉検定(過去問) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月20日

鎌倉の寺院と特徴ある仏像のこと−(2018年鎌倉検定1級の問題から)

2018年11月に行われた鎌倉検定1級の問題をひも解いて、鎌倉をよく知りましょう。

今回は、「鎌倉の寺院と特徴ある仏像について」です。
[3] 次の写真は何か。指示にしたがって書きなさい。        
 (45) 寺名と仏像名を漢字で書きなさい。
   来迎寺如意輪観音半跏像.jpg
 

 ・この仏像の特徴は、装飾技法としての「土紋」がポイントです。
 
正解は、「来迎寺 如意輪観音(半跏)像」です。 

満光山来迎寺(西御門)
 ・時宗。1293年創建。開山は一向。
  鎌倉大地震で亡くなった人々の菩提を弔うために建てられました。
 来迎寺案内板.JPG

 ・本尊は阿弥陀如来像
  如意輪観音像のほか、宅間浄宏作と伝えられる「地蔵菩薩像」も祀られています。
 ・通常は拝観できません。
 来迎寺本堂.JPG

 満光山来迎寺.JPG

 ※このお寺については、「鎌倉小町のお寺を見る(満光山)」を参照。

  同じ寺号のお寺が、材木座にもあります。(随我山来迎寺)

仏像装飾の一技法である土紋を施した「如意輪観音像」
・もとは頼朝の持仏堂だった法華堂にあったものを移したといわれています。厄除けと安産の守護尊としてご利益があるとされています。

・右第一手は頬にあて思惟相を作り、右第二手に如意宝珠を持ち、右第三手は下にさげて念珠を持っています。

・左第一手は下に伸ばして台座に触れ、左第二手は曲げて蓮華を持ち、左第三手は法輪を捧げています。

如意宝珠法輪を持つため、「如意輪」といいます。 

装飾技法の「土紋」とは
・仏像の装身具の文様を、漆などを混ぜた粘土を成型し立体的に表現する技法で、鎌倉地方に特有の技法であるといわれています。

・この技法の仏像には、浄光明寺の「阿弥陀三尊坐像」、東慶寺の「聖観音菩薩立像」、浄智寺の「韋駄天立像」(鎌倉国宝館に出陳→「ココ」参照)などがあります。 

 
posted by トシ999 at 08:00| Comment(0) | 鎌倉検定(過去問) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする