2018年02月22日

鎌倉に関する用語(手斧始式)の読みのこと−(2017年鎌倉検定1級の問題から)

1級の問題を見て、そこから鎌倉をよく知りましょう。

今回は、「用語“手斧始式”の読み方について」です。
[4]次の用語の読みをひらがなで書きなさい。      
 (29) 手斧始式
 

 ・これはテキストをよく読んで、読み書きできるように練習してください。

正解は、「(29) ちょうなはじめしき」です。

手斧始式(ちょうなはじめしき)(鶴岡八幡宮)
 ・1月4日の鶴岡八幡宮の行事。
 ・1191年の大火で焼けた社殿を源頼朝が再建する際、船から上げられた用材を由比ヶ浜
  より運んで木造りしたという御柱引きの故事に因む神事。

 ・古儀保存の意味と、年間を通して行われる営繕の事始めの儀式として、さらには鎌倉
  全市の大工や鳶職など、建築関係者の工事始めの式としての意味も加わって営まれて
  います。

 ・二の鳥居より段葛を、神職の先導のもとに、鳶職が木遣唄も勇ましくご神木を運ぶ
  ところから神事は始まり、舞殿前では、烏帽子直垂姿の「幣振役・工匠・鋸役・
  墨打役・手斧役・槍かんな役
」が、それぞれ現在では目にふれる機会の少ない所作
  を古式ゆかしく再現します。

舞殿に「ご神木」が運ばれてきます
 ご神木到着.JPG

 ご神木.JPG

「幣振役」の所作
 幣振役.JPG

「工匠」の所作
 工匠.JPG

「鋸役」の所作
 鋸役.JPG

「墨打役」の所作
 墨打役.JPG

「手斧役」の所作
 手斧役.JPG

「槍かんな役」の所作
 槍かんな役.JPG

宮司の玉串拝礼や奉仕者の拝礼が行われ、終了です
 宮司玉串拝礼.JPG

 奉仕者拝礼.JPG

[ご神木]が退場します
 ご神木退場.JPG

 
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2018年02月21日

鎌倉に関する用語(大塔宮)の読みのこと−(2017年鎌倉検定1級の問題から)

1級の問題を見て、そこから鎌倉をよく知りましょう。

今回は、「用語“大塔宮”の読み方について」です。
[4]次の用語の読みをひらがなで書きなさい。      
 (28) 大塔宮
 

 ・鎌倉駅から鎌倉宮行きバスに乗ると、「だいとうのみや」行きとアナウンスされま
  す。しかし、テキストをよく読んでみると、異なるようです。

正解は、「(28) おおとうのみや」です。

大塔宮(おおとうのみや)
 ・1869年(明治2)、明治天皇により創建された鎌倉宮(二階堂)の祭神「大塔宮護良
  親王
」は、後醍醐天皇の皇子として生まれ、11歳で比叡山延暦寺の大塔に入室した
  ことから「大塔宮」と称されました。

「鎌倉宮」の鳥居と拝殿
 ・護良親王の遺志を後世に伝えることを望んだ明治天皇の勅命により創建された鎌倉宮
  ですが、その名も天皇自らつけられました。
  20歳で天台座主になったが、後醍醐天皇の鎌倉幕府倒幕のための挙兵に応じて、還俗
  して護良と名のりました。
 鎌倉宮.JPG

鎌倉宮案内板
鎌倉宮案内板.JPG

鎌倉宮境内奥にある「護良親王の土牢」
 土牢前.JPG

 土牢.JPG

 土牢内部.JPG

 土牢の説明板.JPG


 ※「護良親王の配流」については、「鎌倉検定−鎌倉公方の誕生(1334年11月15日)を読む(1)」を参照。

 
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2018年02月20日

鎌倉に関する用語(補陀洛寺)の読みのこと−(2017年鎌倉検定1級の問題から)

1級の問題を見て、そこから鎌倉をよく知りましょう。

今回は、「用語“補陀洛寺”の読み方について」です。
[4]次の用語の読みをひらがなで書きなさい。      
 (27) 補陀洛寺
 

 ・これはテキストをよく読んで、読み書きできるように練習してください。

正解は、「(27) ふだらくじ」です。

南向山補陀洛寺(ふだらくじ)(材木座)
 ・真言宗。1181年、「源頼朝の祈願所」として創建されました。
  開山と伝えられる「文覚」は、伊豆で頼朝と出会って親交が始まったといわれていま
  す。

 ・本尊の「十一面観音菩薩像」は平安時代後期の作、「薬師如来像」は「行基」の作、
  「日光・月光菩薩像」は「運慶」作、「地蔵像」は「空海(弘法大師)」作、と伝わ
  っているとのことです。
  鎌倉三十三観音霊場の第17番札所です。

 ・平氏滅亡の折に、平宗盛が最後まで持っていた「平氏の赤旗」が収蔵されています。
 ・江戸時代、たびたび竜巻に襲われたため、別名「竜巻寺」ともいわれています。

「補陀洛寺」の場所
補陀洛寺地図.jpg

門柱と本堂
 補陀洛寺門柱と本堂.JPG

文覚上人とは
 文覚はもともと遠藤盛遠(えんどうもりとお)という武士だったが、渡辺(源)渡の妻袈裟御前に懸想し、誤って殺してしまい、その女性の供養のため出家し、僧侶になったということです。

 また、京都神護寺再興のために後白河法皇に勧進したものの、怒りを買い伊豆に流され、そこで源頼朝と出会い親交を深め、平家討伐の挙兵を勧めたといわれています。 

※文覚上人については、「鎌倉検定−頼朝の鎌倉入り(1185年10月24日)を読む(8)」を参照。

 
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