2015年08月31日

日蓮の妙法桜がある鎌倉の寺は?

鎌倉検定の過去の問題に、次のようなものがあります。
 日蓮の使用していた桜の杖が根付いたとされる妙法桜があるのはどこか。
 1 妙法寺(大町)  2 妙長寺  3 安國論寺  4 妙骼宦@

正解は、<3 安國論寺>です。

安國論寺を代表する花の一つに「妙法桜」があります。
八重咲きで純白のヤマザクラで、品種名は、短い花柄が花軸に密集して付いて、開花するさまが虎の尾のように見えることから「市原虎の尾」といいます。
鎌倉市の天然記念物に指定されています。

市原虎の尾」は、京都市左京区の市原にあった桜で、虎の尾の様にみえることから大谷光瑞が名付けたものといわれています。

妙法桜(市原虎の尾)
妙法桜の石塔.JPG 市原虎の尾.JPG

妙法桜.JPG


安國論寺(大町)
安國論寺山門.JPG日蓮宗。1253年創建。
開山は日蓮。

日蓮が安房国から鎌倉に入って、初めて庵を結んだ場所。

1260年、この御小庵で「立正安国論」を書き、前執権北条時頼に建白した。
そのため何度も焼き討ちに遭いました。

裏山には、「松葉ヶ谷法難」の時に一時避難した「南面窟」が残っています。
→「鎌倉検定2014年2級の問題から見た鎌倉(29)」を参照。

その他にも、安國論寺の見どころはいろいろあります。
<紅白咲き分けのシダレモモ(源平枝垂れ)(3月〜4月)>
源平枝垂れ1.JPG

<これからが期待されるカイドウ(4月)>
安國論寺カイドウ.JPG

<市天然記念物の白いサザンカ(10月〜12月)>
安國論寺サザンカ.JPG

日朗上人の御荼毘所>
日朗上人御荼毘所.JPG

<「富士見台」からの富士山の眺めもまた、素晴らしいものがあります>
安國論寺富士見台.JPG
 
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2015年08月30日

鎌倉円覚寺佛日庵のハクモクレンのこと

鎌倉検定の過去の問題に、次のようなものがあります。
 円覚寺の塔頭佛日庵の境内に咲くハクモクレンの株を寄贈した中国の作家はだれか。
 1 郭沫若  2 魯迅  3 老舎  4 屈原 

正解は、<2 魯迅>です。

円覚寺の塔頭・佛日庵境内に、3月〜4月に咲くハクモクレンは、1933年(昭和8)、『阿Q正伝』で知られる魯迅から贈られた株です。
→「佛日庵のホームページ」を参照下さい。

佛日庵とハクモクレン
佛日庵ハクモクレン1.JPG

佛日庵ハクモクレン2.JPG


魯迅(1881年〜 1936年)
 1904年(明治37年)、日本に留学して医学を志したが、のち文学に転じ、中国に帰国して文筆活動を本格化しました。
 「狂人日記」、「阿Q正伝」など多くの作品を発表し、外国文学の翻訳、紹介にも努め、中国近代文学の祖となりました。
 
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2015年08月29日

鎌倉文士、大佛次郎の活躍

鎌倉検定の過去の問題に、次のようなものがあります。
 ナショナルトラスト運動のさきがけとなった鎌倉の風致保存活動において,中心的に奔走した人物はだれか。
 1 堀辰雄  2 大佛次郎  3 立原正秋  4 高見順 

正解は、<2 大佛次郎>です。

・1964年(昭和39)、鶴岡八幡宮の後背部の緑地開発をめぐって、開発側と反対派の攻防が繰り広げられ、「御谷騒動(おやつそうどう)」と呼ばれました。

・鶴岡八幡宮の裏山はかつて八幡宮寺の御坊があったところで、この御谷を宅地開発する企てが持ち上がりました。これに対して、「大佛次郎」ら著名人をはじめ多くの市民が、開発反対、旧跡、緑地保全運動に加わりました。
・同年発足した「鎌倉風致保存会」は、「御谷騒動」の舞台となった緑地を買い取り、これによって緑が守られ、これが日本で初めての「ナショナルトラスト運動」となりました。

・「御谷騒動」は、1966年(昭和41)の「古都保存法」制定のきっかけとなりました。
<御谷の場所>
御谷地図.jpg

<「二十五坊旧蹟」の石碑>
二十五坊旧蹟1.JPG北鎌倉駅から建長寺を過ぎて、巨福呂坂トンネルを抜けると、道は鶴岡八幡宮へ向かって右にカーブしています。

その左角に石碑は立っています。
石碑の左を入っていくと、二十五坊跡があります。

二十五坊旧蹟2.JPG鶴岡八幡宮は、明治政府の神仏分離政策になるまでは、鶴岡八幡宮寺というお寺でした。

鶴岡八幡宮の西北、小袋坂の曲がり角辺りの一帯は、幕末まで鶴岡八幡宮の社役を務める供僧達の僧坊(供僧坊)がありました。

1191年に、供僧二十五口の制が定められたので、その地域一帯には、「二十五坊跡」と呼ばれる国の史跡が残っています。

大佛次郎(1897年(明治30)〜1973年(昭和48))
 本名・野尻清彦。小説家。
 小説『鞍馬天狗』で知られ、1921年(大正10)、長谷の大仏裏に移り住みました。
 ペンネームの“大佛”(おさらぎ)はそこから付いたものです。

 1929年(昭和4)から没年まで雪ノ下に居住しました。友人を招いたり、執筆の合間に休息をとっていたといわれる邸宅、「野尻邸(旧大佛次郎茶亭)」が、「景観重要建築物等」に指定されて残っています。
野尻邸(旧大佛次郎茶亭)
野尻邸1.JPG

 1936年(昭和11)、久米正雄の呼びかけによって結成された「鎌倉ペンクラブ」のメンバーとなり、彼らは「鎌倉文士」と呼ばれるようになりました。
 →「鎌倉文士」については、「鎌倉検定2014年2級の問題から見た鎌倉(27)」を参照。

 その他、鎌倉での活躍は幅広く、現在の草野球の草分けともいえる野球チーム「鎌倉老童軍」の発案者であり、また1934年(昭和9)に始まった鎌倉の夏の風物詩「鎌倉カーニバル」の発案者でもあります。

 お墓は、壽福寺にあり、静かに鎌倉を見守っています。
 <大佛次郎の墓>
大佛次郎墓.JPG
 
posted by トシ999 at 15:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 鎌倉検定(過去問) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする