2017年03月08日

鎌倉検定−頼朝の鎌倉入り(1203年8月27日)を読む(19)

 鎌倉検定合格を目指して、「読んで分かる中世鎌倉年表」(→ココ参照)を読みながら、今の鎌倉を見てみましょう。

(32)建仁3年(1203)8月27日
 源頼家が日本国総守護職と関東28か国の地頭職を長子一幡(6歳)に、関西38か国の地頭職を頼家の弟千幡(12歳、実朝)に譲る。前月半ばすぎから病床にあった頼家の容体が悪化する中でとられた措置である。
 なお、頼家の意向は一幡にすべてを相続させるというものであったが、それによる一幡の外祖父で有力御家人の比企能員の勢力増大を恐れた北条時政らが、この措置を進めたともいわれている。

「源頼家」と「比企能員」との関係図
 頼家と比企氏の関係図.jpg

比企能員ゆかりの「妙本寺」
 このお寺については、「鎌倉大町のお寺を見る(長興山)」を参照。

妙本寺拝観入口の石碑
妙本寺入口.JPG1260年創建。日蓮宗。
開山は日蓮。

開基は「比企能員の子、比企能本」で、京都にいた能本は比企氏の乱の後、比企氏の館の跡地に法華堂を建立しました。

※比企氏の乱で「比企能員」は討たれた。

<妙本寺総門横の「比企能員邸址」の石碑>
 比企能員邸址石碑.JPG

案内板
妙本寺案内板.JPG

日蓮聖人像
 日蓮聖人像.JPG

比企能員(?〜1203年)
 能員の法号「長興」が妙本寺の山号となりました。
比企能員公一族の墓
 比企能員公一族の墓.JPG

 
posted by トシ999 at 14:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 鎌倉検定 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月07日

鎌倉検定−頼朝の鎌倉入り(1200年閏2月13日)を読む(18)

 鎌倉検定合格を目指して、「読んで分かる中世鎌倉年表」(→ココ参照)を読みながら、今の鎌倉を見てみましょう。

(29)正治2年(1200)閏2月13日
 北条政子、亀谷の地を僧栄西に寄付し、壽福寺の造営を始める。当地は源頼朝の父義朝の旧跡で、その恩に報いるため岡崎義実が草堂を建てていたところ。
 なお、のち7月15日には、この壽福寺において京都で描かせた十六羅漢画像の開眼供養が、政子も参堂して行われることになる。

亀谷山壽福金剛禅寺
 このお寺については、「鎌倉扇ヶ谷のお寺を見る(亀谷山)」を参照。

総門から中門へ向かう参道
 参道の夏の涼しげな様子、冬の紅葉の時の様子には定評があります。
 夏の壽福寺.JPG

 壽福寺紅葉.JPG

仏殿
壽福寺仏殿.JPG臨済宗。
鎌倉五山第三位。

本尊は宝冠釈迦如来像
通常は非公開です。

仏殿前にはビャクシンの大木があります。

栄西(1141年〜1215年)
 ようさい。「えいさい」とも読む。
 日本臨済宗の祖。延暦寺で天台宗を学んだ後、宋に渡りました。帰国後、鎌倉へ。幕府の庇護を受け、壽福寺、京都の建仁寺の開山となりました。
 中国から茶を紹介し、茶の効用を記した著書「喫茶養生記」を3代将軍源実朝に献上しました。

岡崎義実(1112年〜1200年)
 平安時代末期から鎌倉時代初期の武将で、三浦大介義明の弟。相模国の豪族。
 義実は忠義心が厚く、平治の乱で源義朝が死亡した後に、壽福寺の辺りに義朝の菩提を弔うお堂を建てていました。
 なお、源頼朝は、石橋山の戦で戦死した義実の長男佐奈田余一義忠の菩提を弔うために証菩提寺(横浜市)を建立しました。

壽福寺境内説明版> 
壽福寺説明版.JPG

壽福寺案内板.JPG

 
posted by トシ999 at 15:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 鎌倉検定 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月03日

鎌倉東慶寺の梅は 2017.3

3月に入り、北鎌倉の「東慶寺」の梅の様子を見てみました。

 そろそろ終盤の様子です。でもまだ、しっかり咲いています。

松岡山東慶寺
 このお寺については、「北鎌倉のお寺を見る(松岡山)」を参照。

山門前の様子
 東慶寺山門.JPG

参道の露座の釈迦牟尼仏
 東慶寺釈迦牟尼.JPG

枝垂れ梅もまだ咲いています>
 東慶寺枝垂れ梅1.JPG

 東慶寺枝垂れ梅2.JPG

<他にも梅はまだまだきれいに咲いているものもありますが、終盤です>
 東慶寺梅1.JPG

 東慶寺梅2.JPG

 東慶寺梅3.JPG

ボケの花は見頃です>
 東慶寺ボケ.JPG

 
posted by トシ999 at 15:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記_2017 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする