2017年04月20日

鎌倉検定−天変地異起こる(1231年1月14日)を読む(5)

 鎌倉検定合格を目指して、「読んで分かる中世鎌倉年表」(→ココ参照)を読みながら、今の鎌倉を見てみましょう。

 今回は、「二階堂大路周辺の火災」です。
K寛喜3年(1231)1月14日
 大倉観音堂の西辺より出火し、二階堂大路に延焼している。
 この月25日には名越あたりで火災が起き、人家50余が焼亡し、翌11日には若宮馬場本の足利義氏邸が焼亡した。
 10月25日には北条時房の公文所が焼け勝長寿院の西辺りより永福寺総門内に延焼し、源頼朝や北条義時の法華堂などが炎上し、多数の死者をだした。
 この年の火災は放火の噂もあり、寛喜の大飢饉による人心の不安と動揺が広がっているなかでの火災の続発であった。

二階堂大路周辺の地図
 二階堂大路地図.jpg

足利義氏(1189〜1255年)
 鎌倉時代前期の武将。足利義兼と北条時政の娘時子との間の子(三男)。
 妻は北条泰時の娘。
足利義氏の系図
 源義家―義国―義康(足利氏)―義兼―足利義氏・・・・・・・足利尊氏    

北条義時の法華堂跡
法華堂跡案内板
 北条義時法華堂跡説明板.JPG

法華堂跡の平場の様子
 北条義時法華堂跡平場.JPG

上記の平場の西側に「源頼朝の墓」があります
 源頼朝の墓.JPG
 
posted by トシ999 at 15:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 鎌倉検定 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする