2020年12月30日

2020年もあとわずかになりました

 源頼朝像_R.jpg
 源氏山公園 源頼朝像

今年もあとわずかになりました

2020年(令和2)は、新型コロナに始まり、新型コロナで終わった失われた1年だったように思います。

鎌倉検定の試験も中止となりましたが、来年は良い年になるように祈念いたします。



長谷寺和み地蔵_R.JPG
  長谷寺和み地蔵

 
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2020年12月28日

鎌倉に伝わる伝説のまとめ(3/3)

鎌倉に伝えられている「伝説」について、鎌倉検定公式テキストブックには、17件の伝説が載っています。
これらを3回に分けて、まとめてみました。

第3回は、残りの5件の伝説についてです。
L源翁禅師の殺生石伝説・源翁禅師によって殺生石が打ち砕かれ、災いも止まったという伝説。
海蔵寺境内_R.JPG・天皇を病にした玉藻前(狐の化身)が射殺され、その霊が石(殺生石)と化し災いをもたらしたが、海蔵寺の開山、心昭空外(源翁禅師)の一撃により砕け散り、災いも止まったという。
(右:海蔵寺境内)
⇒「ふりかえり鎌倉―鎌倉の伝説(源翁禅師の殺生石)
M頼朝の夢枕に立つ神霊・源頼朝の伊豆挙兵を助けた神霊が、佐助稲荷だという伝説。
佐助稲荷鳥居_R.JPG・伊豆に流されていた頼朝は、病床の枕元に現れた「かくれ里の稲荷」の神霊に挙兵を進められ、後に幕府を開くと、その神霊に感謝して佐助ヶ谷の祠を見つけ佐助稲荷を再興したという。
(右:佐助稲荷鳥居)
⇒「鎌倉ゆかりの人物―源頼朝のあれこれ
N隠れ里に湧く霊水・源頼朝が、洞窟の中の泉を見つけ、宇賀福神を祀ったのが銭洗弁財天宇賀福神社だという伝説。
銭洗水_R.JPG・巳年巳の月巳の日巳の刻、頼朝は、夢に現れた宇賀福神に神泉の水による世の繁栄のお告げを受けて洞窟の泉を探し、そこに宇賀福神を祀り、後に北条時頼がこの水で銭を洗うことを勧め、人々はその行いにより幸福利益を得たという。
(右:銭洗弁財天宇賀福神社銭洗水)
⇒「源頼朝や北条時頼にまつわる神社のこと−(2018年鎌倉検定1級の問題から)
O三浦の浜に流れついた観音像・相模国の浜に流れついた観音像で開山したのが長谷寺だという伝説。
長谷寺観音堂_R.JPG・徳道が楠の霊木から作った二体の観音像のうち、一体は奈良長谷寺に安置し、もう一体は海に流したが、像は相模国の浜に流れつき、現在地に遷されて開山したのが鎌倉長谷寺だという。
(長谷寺観音堂)
⇒「ふりかえり鎌倉―鎌倉の伝説(三浦の浜に流れついた観音像)
P龍神に祈った新田義貞・新田義貞は、龍神に祈り、鎌倉に攻め入ることができたという伝説。
稲村ヶ崎_R.JPG・義貞は鎌倉攻めで、稲村ヶ崎から侵入できないでいたが、腰に差していた黄金造りの太刀を海に投げ龍神に祈ったら、潮が引いて干潟を渡り、鎌倉へ攻め入ることができたという。
(稲村ヶ崎)
⇒「鎌倉ゆかりの人物―新田義貞のあれこれ


 
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2020年12月27日

鎌倉に伝わる伝説のまとめ(2/3)

鎌倉に伝えられている「伝説」について、鎌倉検定公式テキストブックには、17件の伝説が載っています。
これらを3回に分けて、まとめてみました。

第2回は、次の6件の伝説についてです。
F衣張山の伝説・源頼朝が、大倉の館から衣張山を展望したときの伝説。
・暑い夏のある日、頼朝はこの山を白絹で覆わせて雪山に見立て、屋敷から眺めながら夏の涼をとったので、山の名はこれに由来するという。
⇒「ふりかえり鎌倉―鎌倉の伝説(白絹で覆われた山)
G頰に焼印のある阿弥陀像・光触寺の本尊「頰焼阿弥陀」にまつわる伝説。
光触寺山門_R.JPG・阿弥陀如来を彫るように依頼した町の局は、家の物がなくなったときに、下働きの法師に疑いを持ち、法師の左の頰に焼印を押させたが跡が残らず、翌日阿弥陀像の頰に焼印がついていたという。
(右:光触寺山門)
⇒「鎌倉光触寺の頰焼阿弥陀の伝説のこと−(2019年鎌倉検定1級の問題から)
H青砥藤綱の銭拾い伝説・藤綱が、東勝寺橋で滑川に落とした銭を探し出させたときの伝説。
東勝寺橋_R.JPG・落とした10文を探すのに50文を使って損をしていると言われ、10文は永久に使われることはないが、50文で松明を買えば造っている町民や商っている商家も利益を得られると、人々を諭したという。
(右:東勝寺橋)
⇒「ふりかえり鎌倉―銭拾い伝説(鎌倉検定:芸術・文化編(13))
I美談を伝えるやぐら・源頼朝の命を狙った唐糸が、娘万寿の行動で許されたという伝説。
・母唐糸が捕えられ、やぐらに幽閉されたと聞いた万寿は、身分を隠して頼朝に奉公した中で、母の身代わりに牢に入ることを申し出て、母娘ともに許しを得たという。(唐糸やぐら(非公開))
⇒「やぐらのこと―鎌倉検定2014年1級の問題から見た鎌倉(5)
J日蓮を導いた白猿・日蓮が、焼き討ちされた草庵を白猿の導きで逃げ延びたという伝説。
南面窟_R.JPG・日蓮が焼き討ちにあった時、「山王大権現」の化身である「白猿」が現われて、夜道を松葉ヶ谷の草庵から裏山の洞窟へと導いてくれたおかげで日蓮は九死に一生を得たという。
(右:安国論寺南面窟)
⇒「ふりかえり鎌倉―鎌倉の伝説(日蓮を裏山の洞窟へ導いた動物)
K戦場で矢を拾い集めた地蔵・足利直義の戦場での窮地を救ったという矢拾地蔵の伝説。
浄光明寺境内_R.JPG・直義が、戦いの場で矢を射つくして困っているときに、矢を拾い集めてくれて助けてくれた小僧がいて、館に戻って信仰しているお地蔵様を見ると、手に矢を持っていたという。(矢拾地蔵)
(右:浄光明寺客殿)
⇒「浄光明寺に関連した史跡のこと−(2017年鎌倉検定1級の問題から)


 
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