
鎌倉時代は征夷大将軍の時代(全9代)で分けています。
◎鎌倉時代(第8代将軍久明親王)
・1289年、後深草上皇の子「久明親王」が、征夷大将軍に任ぜられました。
・1308年、久明親王は征夷大将軍を解任され、京都に送還されました。
・久明親王の時代、執権は、北条貞時→師時と続きました。
<久明親王の系図>

<北条時政〜北条師時の執権の系図>

<「久明親王」の時代の主な出来事>
1289年 久明親王が第8代将軍就任 | ・持明院統の後深草上皇の子「久明親王」が、征夷大将軍に任ぜられました。 ・前将軍惟康親王は、京都に送還されました。 |
1293年 平禅門の乱 | ・「北条貞時」は、内管領の平頼綱が権力を持ちすぎ、独断・専横を止めるため、頼綱の館を襲撃しました。頼綱は自害、子の飯沼資宗も討たれました。 |
1296年 覚園寺創建 | ・「北条貞時」が、覚園寺を創建。この寺は、北条義時創建の大倉薬師堂を前身とする。 ・貞時は、再度の元軍の来襲を退けることを祈願して、心慧上人を開山とし、鷲峰山覚園寺と寺号を定めました。 |
1297年 永仁の徳政令 | ・「北条貞時」は、困窮する御家人を救済するため、徳政令を出しました。 ・御家人には売買、質入れした所領が無償で戻ることとなったが、かえって経済的な破綻を生み出すことになりました。 |
1301年 円覚寺梵鐘の鋳造 北条師時が執権就任 | ・「北条貞時」は、鎌倉一の大きな円覚寺の梵鐘を鋳造させました。撰文は西澗子曇、鋳物師は物部国光。 ・「北条師時」が10代執権に、北条時村が連署に就任。この師時の執権就任は、貞時の子高時が成人するまでの間の中継。 |
1305年 嘉元の乱 | ・連署「北条時村」が殺害されました。事件の張本人は北条時宗の弟宗頼の子「宗方」。 ・宗方は、自分よりも先に従兄弟の師時が執権に就任したことに不満を持ち、師時や長老時村を殺害しようとした事件だといわれています。 |
1308年 久明親王が将軍解任 | ・「久明親王」は、征夷大将軍を解任されて、京都に送還されました。 |
<覚園寺「山門」と「愛染堂」>
<鎌倉三名鐘の一つ円覚寺の「梵鐘(洪鐘)」>
※鎌倉三名鐘:常楽寺梵鐘(1248年)、建長寺梵鐘(1255年)
円覚寺梵鐘(1301年)
※常楽寺梵鐘→「鎌倉国宝館の収蔵品」を参照。
<北条時村、北条師時、北条宗方の関係系図>
