2021年04月15日

鎌倉の歴史のまとめ−室町時代(幕府成立から鎌倉公方まで)

「鎌倉検定公式テキストブック」から、「鎌倉の歴史」についてまとめていきます。
なお、室町時代は、幕府成立から鎌倉公方の時代と、それ以降の時代に分けています。

 ※鎌倉公方
  足利尊氏は、鎌倉に義詮のあとに「基氏」を置いて、初代「鎌倉公方」としました。
  また、関東管領・評定衆・引付衆・諸奉行を設置し、関東8ヵ国に伊豆・甲斐を加え
  た10ヵ国を管轄させました。

室町時代(幕府成立から鎌倉公方)
 ・1336年、足利尊氏は「建武式目」を作り、京都室町に幕府を開き、鎌倉にも鎌倉府を
  設けました。
 ・鎌倉公方は、足利基氏以降、1455年に足利成氏が古河公方となるまで、次の5代続き
  ました。
  ※足利尊氏→「基氏―氏満―満兼―持氏―成氏(初代古河公方)

鎌倉公方と関東管領の関係図
   鎌倉公方と関東管領の系図1.jpg

「室町時代(幕府成立から鎌倉公方)」の主な出来事
1336年
建武式目制定
足利尊氏は、政治方針を定めた建武式目を制定しました。
1338年
室町幕府を開く
足利尊氏は、征夷大将軍となり、京都に室町幕府を開きました。
1349年
鎌倉公方の統治
・足利尊氏は、鎌倉を武家政権の要地として考えて「鎌倉府」を置き、その長官(「鎌倉公方」)に関東を統治させました。
・足利尊氏は、子の足利基氏を鎌倉公方初代長官としました。
1350年
観応の擾乱
・幕府の執事高師直と足利尊氏の弟直義との対立から、動乱が全国的に拡大しました。
足利尊氏、義詮と、足利直義の間で、全面的な武力衝突となりました。
1352年
足利直義死去
足利尊氏死去
足利直義は、尊氏に敗れて鎌倉に移り、浄妙寺西北の延福寺で急逝しました。
・その後、1358年に足利尊氏が、死去しました。
1363年
上杉憲顕が関東管領就任
・足利基氏の要請で、上杉憲顕が幕政に復帰し、関東管領として鎌倉公方を補佐しました。
・その後、関東管領は上杉氏が世襲していきました。
1367年
足利氏満が第2代鎌倉公方就任
・足利基氏が没し、子の氏満が第2代鎌倉公方に就任しました。
・この頃から鎌倉公方は幕府と対立し始めました。
1398年
足利満兼が第3代鎌倉公方就任
・足利氏満が没し、子の満兼が第3代鎌倉公方に就任しました。
1409年
足利持氏が第4代鎌倉公方就任
・足利満兼が没し、子の持氏が第4代鎌倉公方に就任しました。
1416年
上杉禅秀の乱
・足利満隆(足利満兼の弟)と前関東管領上杉禅秀(氏憲)が足利持氏に反乱を起こしたが、翌年、満隆と禅秀共に自害し、乱は終結しました。
1438年
永享の乱
足利持氏と幕府との関係が悪化し、幕府は持氏討伐を決定しました。
・翌1439年、足利持氏は、鎌倉永安寺(二階堂)で自害しました。以降、長らく鎌倉公方は置かれませんでした。
1447年
足利成氏が第5代鎌倉公方就任
・幕府は足利持氏の遺児成氏が、鎌倉公方となることを認め、鎌倉公方の復活が果たされ、上杉憲忠を関東管領としました。
・しかし、成氏派と上杉被官(反成氏派)との間の対立は深刻化していきました。
1454年
享徳の乱の始まり
足利成氏が、父持氏を死に追いやった上杉憲実の子、上杉憲忠を謀殺しました。
・以後、成氏軍と上杉軍の間で合戦が始まり(享徳の乱の始)、のちに京都で起こる応仁の乱よりも13年先んじて、関東は大動乱の時代に入りました。
1455年
古河公方の始まり
足利成氏は、幕府から成氏討伐の命を受けた今川軍に敗れ、鎌倉を落ち延びて下総古河に逃れ、古河公方と呼ばれました。
・これを契機に、鎌倉府は事実上なくなりました。

「足利公方邸旧蹟」の石碑(浄明寺)
足利公方邸旧蹟石碑_R.JPG源頼朝が幕府を開いた時、足利義兼が住居をこの地に定めて以来、二百数十年間、子孫が代々この地に住みました。

足利尊氏が権力を握って京都に移った後に、その子の義詮が2代将軍となって、京都の家を継ぐに及んで、義詮の弟の基氏が関東管領となって、軍の指揮をこの家からとりました。

こうして家は子孫に引き継がれました。子孫は京都にならって公方と名乗っていました。

享徳四年(1455)公方成氏は、執事の上杉憲忠との不和により下総古河に移ったために、ついに永く廃墟となってしまいました。

鎌倉五山第五位の浄妙寺にある「足利直義の墓」(浄明寺)
 足利直義の墓_R.JPG

開基が足利尊氏となっている長壽寺にある「足利尊氏の墓」(山ノ内)
 足利尊氏の墓_R.JPG

鎌倉公方代々の菩提寺として栄えた別願寺にある「足利持氏の供養塔」(大町)
 足利持氏供養塔_R.JPG

 
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2021年04月13日

鎌倉長谷寺の今は 2021.4

今年はすでに新緑の季節になっているようで、「長谷寺」の様子を見てみました。
本尊造立1300年記念事業が、いろいろあるようです。

海光山長谷寺(長谷)
 ・浄土宗。創建は736年。開山は徳道。
 ・本尊の十一面観音菩薩像は、奈良から有縁の地で人々を救うように願われて海に流さ
  れたのち、三浦半島に流れ着き、この地が選ばれて、736年に長谷寺が創建されたと
  されています。

「ツツジ」が咲く、金色提灯が掲げられた山門前
 長谷寺山門前_R.JPG

妙智池の畔ではいろいろな花が咲き始め、「ニオイズイセン」もその一つです
 長谷寺ニオイズイセン_R.JPG

妙智池の前に、「仏足石」が花で飾られています
 長谷寺仏足石_R.JPG

妙智池の後方では、「シャクナゲ」や「タツナミソウ」や「フジ」が見られます
 長谷寺シャクナゲ_R.JPG

 長谷寺タツナミソウ_R.JPG

 長谷寺フジ_R.JPG

上の境内に行くには、緑のトンネルを通って行きます
 長谷寺緑1_R.JPG

 長谷寺緑2_R.JPG

布袋尊の周りでは「ツツジ」が満開、「サルスベリ」の木もすでに芽吹いてきました
 長谷寺布袋尊_R.JPG

 長谷寺サルスベリ_R.JPG

本尊造立1300年記念事業の一つで、観音堂に「五色幕」が掛かっています
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 長谷寺観音堂五色幕2_R.JPG

観音堂前の藤棚の「フジ」は、咲き始めたところです
 長谷寺フジ棚1_R.JPG

 長谷寺フジ棚2_R.JPG

良縁地蔵の周りの「タケノコ」も伸びてきました
 長谷寺良縁地蔵_R.JPG

「シャクナゲ」は、階段途中や池の周りなど、あちこちで見られます
 長谷寺シャクナゲ1_R.JPG

 長谷寺シャクナゲ2_R.JPG

 シャクナゲとボタン_R.JPG

「リキュウバイ」は、そろそろ終わりなのでしょうか
 長谷寺リキュウバイ_R.JPG

「ボタン」は、放生池の周りや、弁天窟の前に咲いています
 長谷寺ボタン1_R.JPG

 ボタンとシャクナゲ_R.JPG

 長谷寺ボタン_R.JPG

和み地蔵の後には、「ベニバナトキワマンサク」が咲いています
 和み地蔵_R.JPG

 長谷寺ベニバナトキワマンサク_R.JPG

なお、原産地が台湾という「アカバナシキミ」という花も見られます
 長谷寺アカバナシキミ_R.JPG

 
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2021年04月09日

鎌倉光則寺の今は 2021.4

季節の進みが早い今年の「光則寺」の様子を見てみました。
なお、4月8日は花祭りでした。

行時山光則寺(長谷)
 ・日蓮宗。1274年創建。開基は宿谷光則。開山は日朗。

参道は桜も終わり、参道脇のフジ棚の「フジ」が、すでに咲き始めています
 光則寺_R.JPG

 光則寺フジ棚_R.JPG

カイドウの終わった本堂前には、降誕会の「花御堂」が置かれていました
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 花御堂1_R.JPG

 花御堂2_R.JPG

 ※降誕会
・毎年4月8日、鎌倉の各寺院で釈迦の誕生を祝う「降誕会」は、一般には「花祭り」の名で親しまれています。
・「花御堂」の中に甘茶を入れた水盤を置き、その中央に安置した釈迦像に甘茶をかけて沐浴させます。
・釈迦が誕生したときに天から龍が下り、香湯の中に入浴させたという言い伝えがルーツとなっています。
・釈迦は生まれてすぐに7歩あるき、右手は天、左手は地を指して「天上天下唯我独尊」と言ったと伝えられています。花御堂の中の誕生仏は、その誕生の様子を表しているそうです。

境内の庭では、大木に絡む「ノダフジ」も見られます
 光則寺フジ1_R.JPG

 光則寺フジ_R.JPG

境内の池の畔には、「シャクナゲ」が咲いています
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池の周りには、「シャガ」が群生しています
 光則寺シャガ1_R.JPG

 光則寺シャガ2_R.JPG

境内の山の斜面の方には遠くに、「シラユキゲシ」が見られます
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境内の庭では、「ニリンソウ」も咲いています
 光則寺ニリンソウ1_R.JPG

 光則寺ニリンソウ2_R.JPG

いよいよ「カラタネオガタマ」も咲き始めるところです
 光則寺カラタネオガタマ1_R.JPG

 光則寺カラタネオガタマ2_R.JPG

これからは、境内のあちらこちらで「ツツジ」が咲き誇ることでしょう。
 光則寺ツツジ1_R.JPG

 光則寺ツツジ2_R.JPG

 
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