
◎明治時代
・明治維新により、鎌倉は、神奈川県に属することになりました。
・交通機関の整備により、保養地、別荘地として発展していきました。
<「明治時代」の主な出来事>
1868年 (明治元) 明治維新 | ・神仏分離令と廃仏毀釈で、鶴岡八幡宮寺は「鶴岡八幡宮」となりました。 |
1869年 (明治2) 鎌倉宮創建 | ・護良親王の遺志を後世に伝えることを望んだ明治天皇の勅命により創建。 |
1875年 (明治8) 鎌倉郵便局開設 | ・1875年に長谷郵便局として開設し、1888年(明治21)鎌倉郡雪ノ下村に移動し、鎌倉郵便局に改称。 |
1880年 (明治13) 保養地として最適 | ・ドイツの医学者ベルツ博士が、「鎌倉は保養地として最適な地である」と紹介。 |
1884年 (明治17) 理想的な海水浴場 | ・医師長与専斎が、「鎌倉の浜辺は海水浴場として理想的な海」と紹介。 |
1889年 (明治22) 横須賀線開通 | ・横須賀軍港と首都東京を結ぶ国防上の必要から東海道線の支線として、大船−横須賀間が開通し、鎌倉駅が開業。 ・大船駅、鎌倉駅、逗子駅、横須賀駅を1日4往復。 |
1893年 (明治26) 1894年 (明治27) 文学者達の鎌倉訪問 | ・1893年(明治26)、正岡子規、島崎藤村などが鎌倉を訪れました。 ・1894年(明治27)、夏目漱石が、円覚寺塔頭「帰源院」に止宿し、円覚寺の老師・釈宗演のもとで参禅。 |
1894年 (明治27) 鎌倉町誕生 | ・町制施行で、東鎌倉村と西鎌倉村が合併して、鎌倉郡鎌倉町が誕生。 ・鎌倉駅で欧文電報の取り扱いが始められました。 |
1899年 (明治32) 鎌倉御用邸建築 | ・明治天皇の皇女のために造られた「鎌倉御用邸」ができました。 |
1902年 (明治35) 江ノ電が部分開通 | ・江ノ電が、「江ノ島電気鉄道」として開業(藤沢〜片瀬までの約3.5km)。 ・電気鉄道として「全国で6番目」の開通。 |
1910年 (明治43) 江ノ電が全線開通 | ・江ノ電が、鎌倉駅(現鎌倉駅前東口、生涯学習センター付近)まで全線開通。 ・逗子開成中学の「ボート転覆海難事故」が発生し、生徒らが七里ヶ浜で遭難。 |
<1869年(明治2)創建、祭神は大塔宮護良親王の「鎌倉宮」>
<成就院から望む「由比ヶ浜海水浴場」>
<円覚寺前踏切を通る「横須賀線」とJR「鎌倉駅舎」>
<夏目漱石が止宿した円覚寺塔頭「帰源院山門」と、「夏目漱石句碑」>
・夏目漱石の句碑「佛性は 白き桔梗にこそ あらめ」
<巨福呂坂洞門に設置されている鎌倉町の町章だった「星月のマーク」>
<御成町にある「旧御用邸門」:現御成小学校正門(昭和30年、鉄筋コンクリート製に>
・門標の校名の文字は、俳人で鎌倉に住んだ高浜虚子が筆をとりました。
<七里ヶ浜県道沿いから内陸に入る「江ノ電」>

<逗子開成中学生の「ボート転覆海難事故の慰霊碑」(稲村ヶ崎)>