
◎大正〜昭和(戦前)時代
・大正時代には、鎌倉の貴重な文化遺産の保護、保全などの活動が盛んとなりました。
・昭和初期には、東京から多くの文化人たちが良好な環境を求めて鎌倉へ移住してくる
ようになりました。
<「大正〜昭和(戦前)」の主な出来事>
1915年 (大正4) 鎌倉同人会発足 | ・外交官陸奥廣吉は、洋画家黒田清輝らと鎌倉同人会を結成し、鎌倉の文化遺産の保護、保全活動や公共施設の整備などを推進しました。 |
1917年 (大正6) 鎌倉青年会(団)活動開始 タクシーとバスの営業開始 | ・鎌倉青年会(団)は、鎌倉の文化遺産を分かりやすく紹介するため、大倉幕府跡などに旧跡案内の石碑を建てる活動を行い、約80基建立しました。 ・鎌倉で初のタクシーとバスの営業が始まりました。 |
1920年 (大正9) 第1回国勢調査 | ・第1回国勢調査で、鎌倉町の人口は約18,252人、戸数3,716戸でした。 |
1923年 (大正12) 大正関東地震発生 | ・『鎌倉震災誌』によれば、地震や津波により約3,000戸が全半壊し、死者は412人に上り、寺社も大きな打撃を受けました。 |
1928年 (昭和3) 鎌倉国宝館開館 | ・大正関東地震をきっかけに、貴重な文化財を守るために「鎌倉国宝館」が建設されました。 |
1930年 (昭和5) 市道大船西鎌倉線開通 鎌倉山宅地開発 | ・菅原通済は、江ノ電の経営に関わり、鎌倉山を開発する際に交通手段を確保するために大船−片瀬間に日本最初の「自動車専用道路」を整備しました。 ・菅原通済は、深沢の丘陵を高級別荘地として開発し、鎌倉山と名付けました。 |
1934年 (昭和9) 鎌倉カーニバル開始 | ・久米正雄、大佛次郎らの文化人により、夏の風物詩として「鎌倉カーニバル」が始まりました。 ・鎌倉カーニバルは、1962年(昭和37)まで続きました。 |
1936年 (昭和11) 鎌倉ペンクラブ誕生 松竹大船撮影所完成 | ・久米、大佛、里見クなどの鎌倉在住の作家により「鎌倉ペンクラブ」が結成されました。(会長久米正雄) ・松竹撮影所が東京蒲田から大船に移転し、「大船調」といわれる多くの作品が作られました。 (松竹大船撮影所は2000年(平成12)に閉所) |
1939年 (昭和14) 鎌倉市誕生 | ・1931年(昭和6)に、腰越津村が腰越町となりました。 ・1939年(昭和14)、市制施行により、鎌倉町と腰越町が合併して「鎌倉市」が誕生しました。 |
1945年 (昭和20) 鎌倉文庫開店 | ・久米正雄は、太平洋戦争中に、鎌倉文士たちが蔵書を持ち寄って貸本屋「鎌倉文庫」を開店することに取り組みました。 ・発案メンバーは、久米正雄、川端康成、高見順らで、終戦後、出版社「鎌倉文庫」へと衣替えしました。 |
<鎌倉青年会(団)が建てた「大倉幕府旧蹟」の石碑>
<奈良・正倉院を模した外観の「鎌倉国宝館」>
<高級別荘地として開発された鎌倉山の入口「鎌倉山ロータリー」>
<鎌倉山の中に建立された鎌倉山の由来が記されている「鎌倉山記」の石碑>
<「鎌倉カーニバル」の壁画(横山隆一作:鎌倉駅地下連絡通路に掲示)>
<砂押川プロムナードに建つ「松竹大船撮影所落成記念碑」(昭和11年)>
<長谷寺に建立された「久米正雄の胸像」>
<1948年(昭和23)に深沢村と大船町を編入し、現在の形となった鎌倉市>
