2022年01月30日

鎌倉建長寺の木造伽藍神像のこと

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鎌倉検定に向けて、鎌倉散策で気づいたワンポイントを紹介していきます。

建長寺の5体で一対の「木造伽藍神像」は、5体が揃ったものとしては国内最古のもので、2010年(平成22)6月に「国指定重要文化財」(国重文)に指定されました。

伽藍神像(がらんじんぞう)
・伽藍神は、寺院の土地・建物を守護する神で、蘭渓道隆来日の縁を作ったということです。
・作風は中国・南宋彫刻の影響を受けており、鎌倉地方の宋風彫刻を考察する上でも見逃せない例と評価されています。
・各像の個々の名称については、「張大帝(ちょうだいてい)、大権修利(だいごんしゅり)、掌簿判官(しょうぼはんがん)、観應使者(かんのうししゃ)、招寶七郎(しょうほうしちろう)」ですが、個々の像との特定は難しいとされています。

巨福山建長寺(山ノ内)
 ・臨済宗。1253年創建。開基は5代執権北条時頼。開山は蘭渓道隆。
 ・鎌倉五山第一位。本尊は地蔵菩薩像。
建長寺の仏殿に安置されている本尊「地蔵菩薩像」
 建長寺仏殿地蔵菩薩像_R.JPG

建長寺の仏殿で、本尊の横の奥に安置されている「伽藍神像」
 建長寺伽藍神像_R.jpg

※上記の5体のうち1体は、国重文に指定されたものとは、少し違うようです。
 ・国重文に指定されたときによく見られた5体の「伽藍神像」の写真
 国重文伽藍神像.jpg

 ・なお、2016年の東京国立博物館特別展で展示されたものは、次の5体でした。
  ⇒「伽藍神像 神奈川・建長寺」を参照。

 ・「張大帝」と見られている次の1体が、変更されています。保管の関係でしょうか。
  木造伽藍神像.jpg

 
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2022年01月27日

鎌倉葛原ヶ岡ハイキングコースに建つ「天柱峰碑」のこと

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鎌倉検定に向けて、鎌倉散策で気づいたワンポイントを紹介していきます。

浄智寺の裏山から上って行く葛原ヶ岡ハイキングコースでは、「天柱峰碑」を見ることができます。
その傍には、名僧竺仙梵僊(じくせん ぼんせん)の供養塔があります。

葛原ヶ岡ハイキングコースの「天柱峰碑」の場所
 葛原岡・大仏ハイキングコース案内板_R.JPG

天柱峰碑(扇ガ谷)
・禅僧竺仙梵僊は、浄智寺背後の山を、「天柱峰」(標高97メートル)と名付け、ここからの景色を愛しました。
・そこに、昭和16年に「天柱峰碑」が建てられました。
 (「天柱」とは「世を支える道義」という意味。)
・傍らには、「竺僊梵僊和尚顕彰碑」と「五重石塔」が建っています。

 天柱峰_R.JPG

竺仙梵僊(じくせん ぼんせん)
 ・鎌倉時代末期に元から来日した臨済宗の禅僧。
 ・1330年鎌倉に下り、足利尊氏・直義の帰依を受けました。
 ・浄妙寺、浄智寺、建長寺などの住持となり、多くの弟子を養成し五山文学発展の基礎
  を築きました。
 ・浄智寺のかつての塔頭楞伽院(りょうがいん)を建立しました。

天柱峰碑の傍に建つ「竺僊梵僊和尚顕彰碑」
 竺僊梵僊和尚顕彰碑_R.JPG
 (裏)
 竺僊梵僊和尚顕彰碑裏_R.JPG
 ・「紀元二千六百年 建供養五重石塔并天柱峰石標 発願者 サアジョルジサンソム」
  ※紀元二千六百年:1940年(昭和15)、皇紀(神武天皇即位紀元)2600年
  ※G.B.サンソム:以前この地に住んだ英国の日本文化史研究家

天柱峰碑の傍に建つ「五重石塔」
  五重石塔_R.JPG

 
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2022年01月23日

鎌倉幕府2代執権北条義時の墓(法華堂跡)のこと

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鎌倉検定に向けて、鎌倉散策で気づいたワンポイントを紹介していきます。

北条義時の没後、供養のために墳墓堂(法華堂)が建てられました。
それは、源頼朝の法華堂の東の山上にあったと推定されています。(吾妻鏡による)
 ※2005年(平成17)に行われた発掘調査で、建物跡が確認されました。

法華堂跡(北条義時墓)(西御門)
「法華堂跡(源頼朝墓・北条義時墓)」の説明板
 法華堂跡(北条義時墓)_R.JPG

「史跡法華堂跡(源頼朝墓・北条義時墓)」の石塔
 法華堂跡石塔_R.JPG

「法華堂跡」とされる平場の現在の様子
 ・建物の範囲を杭とロープで表示しています。(杭:礎石、ロープ:雨落ち溝)
 法華堂跡2_R.JPG

 法華堂跡1_R.JPG

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」にちなんだ説明板も設置
 ・ゆかりの人物として「北条義時、三浦義澄、大江広元」が記されています。
 鎌倉殿の13人_R.jpg

平場の背後にある三浦義澄の孫・泰村など「三浦一族の墓」とされるやぐら
 三浦一族の墓_R.JPG

平場の背後の山上にある「大江広元の墓」(三つあるやぐらの中央)
 大江広元の墓_R.JPG

「薩摩藩・長州藩ゆかりの墓が並ぶ法華堂跡」の説明板
 ・源頼朝の墓の下にある「よりとも児童遊園」の横に建てられた説明板です。
 薩摩藩・長州藩ゆかりの墓が並ぶ法華堂跡説明板_R.JPG

 
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