2022年01月23日

鎌倉幕府2代執権北条義時の墓(法華堂跡)のこと

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鎌倉検定に向けて、鎌倉散策で気づいたワンポイントを紹介していきます。

北条義時の没後、供養のために墳墓堂(法華堂)が建てられました。
それは、源頼朝の法華堂の東の山上にあったと推定されています。(吾妻鏡による)
 ※2005年(平成17)に行われた発掘調査で、建物跡が確認されました。

法華堂跡(北条義時墓)(西御門)
「法華堂跡(源頼朝墓・北条義時墓)」の説明板
 法華堂跡(北条義時墓)_R.JPG

「史跡法華堂跡(源頼朝墓・北条義時墓)」の石塔
 法華堂跡石塔_R.JPG

「法華堂跡」とされる平場の現在の様子
 ・建物の範囲を杭とロープで表示しています。(杭:礎石、ロープ:雨落ち溝)
 法華堂跡2_R.JPG

 法華堂跡1_R.JPG

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」にちなんだ説明板も設置
 ・ゆかりの人物として「北条義時、三浦義澄、大江広元」が記されています。
 鎌倉殿の13人_R.jpg

平場の背後にある三浦義澄の孫・泰村など「三浦一族の墓」とされるやぐら
 三浦一族の墓_R.JPG

平場の背後の山上にある「大江広元の墓」(三つあるやぐらの中央)
 大江広元の墓_R.JPG

「薩摩藩・長州藩ゆかりの墓が並ぶ法華堂跡」の説明板
 ・源頼朝の墓の下にある「よりとも児童遊園」の横に建てられた説明板です。
 薩摩藩・長州藩ゆかりの墓が並ぶ法華堂跡説明板_R.JPG

 
posted by トシ999 at 07:00| Comment(0) | 歴史・旧跡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする