2022年02月14日

鎌倉来迎寺に建つ「三浦大介義明の五輪塔墓」のこと

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鎌倉検定に向けて、鎌倉散策で気づいたワンポイントを紹介していきます。

来迎寺(材木座)には、相模国の武将「三浦大介義明(みうらおおすけよしあき)」の五輪塔の墓があります

三浦大介義明(1092〜1180年)
・平安時代末期の相模国三浦郡衣笠城の武将。
・1180年の源頼朝の挙兵に呼応して一族を衣笠城から出撃させたが、雨による増水のため酒匂川を渡ることができず、石橋山の戦いには間に合いませんでした。
・三浦軍は、頼朝の敗北を知り、衣笠へ引き返す途中、由比ヶ浜で畠山重忠軍と遭遇しました。義明と重忠とは親戚関係にあり、お互い了解の上で戦わずにやり過すはずでした。
・ところが、杉本城にいた三浦一族の和田義茂は、三浦軍が重忠に追われていると勘違いをして、重忠を攻めたため、小坪口での合戦へと発展してしまいました。
・三浦軍は衣笠城に引き返しましたが、すぐに重忠軍が衣笠城を攻めたため衣笠城合戦となり、義明は子義澄らの一族を海上から頼朝のもとに逃げさせ、自らは衣笠城に籠り、戦死しました。
・義明は89歳で戦死しましたが、源頼朝は、義明が17回忌まで生きたものとみなすよう伝えたため、「百六つ義明公」とも呼ばれました。

・源義朝の長男義平は、「三浦大介義明」の娘との間に生まれた子で、「鎌倉悪源太」と称したと伝えられています。これは武勇に優れ強いという意味で「悪源太」と呼ばれました。
・今の壽福寺付近にあった源義朝供養のための堂「鎌倉之楯」を建てた岡崎義実は、三浦大介義明の弟です。

三浦大介義明の系図
 三浦大介義明の系図.jpg

本堂右手前に建つ「三浦大介義明の五輪塔の墓」
 三浦大介義明の墓_R.JPG

三浦大介義明の墓の隣に建つ孫の「多々良重春の墓」(左の五輪塔)
・17歳の重春は、畠山重忠との戦い(小坪口での合戦)で戦死しました。
 多々良三郎重春の墓_R.jpg

境内裏手には、百余基の五輪塔の三浦一族「三浦大介公家来の墓」が並んでいます
 三浦大介公家来の墓1_R.JPG

 三浦大介公家来の墓2_R.JPG

随我山来迎寺(材木座)
 ・時宗。開山は音阿。
 ・1194年、源頼朝が三浦大介義明の菩提を弔うため建立した能蔵寺がはじまりです。
  1335年、音阿上人が時宗に改宗し、現在の名前に改名しました。
 ・本堂には本尊である「阿弥陀三尊像」と、「子育て観音」といわれる聖観音が祀られ
  ています。
  本尊の「阿弥陀三尊像」は運慶作とされています。
 来迎寺_R.JPG

 来迎寺本堂_R.jpg

 
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2022年02月06日

鎌倉荏柄天神社に建てられた「かっぱ筆塚」と「絵筆塚」のこと

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鎌倉検定に向けて、鎌倉散策で気づいたワンポイントを紹介していきます。

荏柄天神社の境内には、漫画家清水崑の「かっぱ筆塚」と、清水崑の遺志を継いだ漫画家横山隆一らが建てた「絵筆塚」があります。

 ※清水崑(1912〜 1974年)
  ・漫画家。代表作品の「かっぱ天国」で、かっぱブームを起こしました。

荏柄天神社(二階堂)
 ・1104年創建。主祭神は、学問の神様として知られる菅原道真。
 ・にわかにかき曇った天から天神画像が降ってきたのを人々は恐れ、その場所に社殿を
  造営し、画像を納めたと伝えられています。
 ・京都の北野天満宮、福岡の太宰府天満宮とともに、日本三天神のひとつ。
 ・源頼朝は、幕府の鬼門の守護神として荏柄天神社を崇敬したとされます。

荏柄天神社の拝殿
 荏柄天神社_R.JPG

かっぱ筆塚の脇に立つ「かっぱ筆塚・絵筆塚」の説明板
 かっぱ筆塚絵筆塚説明板_R.JPG

「かっぱ筆塚」(1971年(昭和46)建立)
・鎌倉在住だった漫画家の清水崑が愛用していた絵筆が納められています。
・表には、大きな筆を担いで片膝をたて片方の足を投げ出している「かっぱの絵」が彫られています。
・裏には、川端康成揮毫の「かっぱ筆塚」の文字が彫られています。

 かっぱ筆塚_R.JPG

 かっぱ筆塚表_R.JPG

 かっぱ筆塚裏_R.JPG

「絵筆塚」(1989年(平成元)建立)
・青銅製で、「かっぱ筆塚」を建てた清水崑の遺志を継いだ漫画家の横山隆一らが建立してものです。
・鎌倉在住だった漫画家の横山隆一をはじめとして、漫画家154名が描いた「かっぱのレリーフ」が飾られています。
・10月第1又は第2日曜日に、二つの筆塚の前で、筆の焚き上げ供養を行う「絵筆塚祭」が行われます。似顔絵コーナーや漫画絵行灯の掲揚があります。

 絵筆塚_R.JPG

絵筆塚の「奉納銘板」
 絵筆塚石碑_R.JPG

「絵筆塚」に飾られている漫画のいろいろ
 ・横山隆一、手塚治虫、小島功、藤子F不二雄、柳原良平など
 横山隆一_R.JPG

 手塚治虫_R.JPG

 小島功_R.JPG

 藤子F不二雄_R.JPG

 柳原良平_R.JPG

 
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2022年02月03日

鎌倉成福寺の「ハクバイ(白梅)」の今は 2022.2

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成福寺の「ハクバイ(白梅)」の咲き具合を見てみました。
門前や親鸞聖人像のハクバイ(白梅)は、いよいよ咲いてきました。

亀甲山成福寺(小袋谷)
・鎌倉ではめずらしい浄土真宗。本尊は阿弥陀如来。
・木造聖徳太子像は16歳の太子をかたどったもので、玉眼を入れ、彩色を施した写実的な像。聖徳太子像は親鸞から与えられたものという。
・開山は成仏で、3代執権北条泰時の子泰次といわれています。幼少より仏教を学び、得度の後は天台宗の僧となりました。
 その後、1232年、親鸞に師事した泰次は、成仏の名をもらい、天台宗から浄土真宗に改宗。
・鎌倉幕府が倒れた時の住職成円は、14代執権北条高時の実弟だったため寺を追われ、以後、70年ほど無住だったということです。

山門左手の「ハクバイ(白梅)」は、いよいよ咲き始めました
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親鸞聖人像の後の「ハクバイ(白梅)」は、満開に近づいています
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 親鸞聖人像ハクバイ3_R.JPG

その他、境内本堂前の「ハクバイ(白梅)」の蕾もふくらみ、咲き始めました
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 成福寺境内ハクバイ2_R.JPG

 成福寺境内ハクバイ3_R.JPG

 
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