2022年03月16日

鎌倉明月院の今は 2022.3

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今、明月院の様子を見てみました。
落ち着いた雰囲気で参拝し、境内を散策できます。花散歩はもう少し後です。

福源山明月院(山ノ内)
 ・1160年、「明月庵」が山内首藤俊道の子、山内首藤経俊によって創建。
 ・1256年、北条時頼が「最明寺」を建立、廃寺後、北条時宗が「禅興寺」を再興。
 ・1380年、鎌倉公方足利氏満が関東管領上杉憲方に「禅興寺」の中興を命じ、足利義満
  の時代に「明月庵」は「明月院」と改められて「禅興寺」の子院の首位に置かれる。
 ・「禅興寺」は、明治初年に廃寺となり、「明月院」のみを残し今日に至る。

明月院の拝観入口と、総門前の「紅梅」の様子
 明月院拝観入口_R.JPG

 明月院総門前_R.JPG

山門へ向かう参道階段の右側脇に、「サンシュユ」が咲いています
 明月院サンシュユ1_R.JPG

 明月院サンシュユ2_R.JPG

本堂(方丈)の丸窓(悟りの窓)の向こうは、非公開の庭園
 丸窓_R.JPG

境内のあちらこちらの「ロウバイ」も終盤です
 明月院ロウバイ_R.JPG

境内の「梅」は、終りです
 明月院白梅_R.JPG

本堂(方丈)前の小径の「ボケ」の花は、まだ咲き始めです
 明月院ボケ1_R.JPG

 明月院ボケ2_R.JPG

開山堂前の「花想い地蔵」は、今何を想うのでしょうか
 花想い地蔵_R.JPG

開山堂横では、「クリスマスローズ」が見られます
 明月院クリスマスローズ1_R.JPG

 明月院クリスマスローズ2_R.JPG

北条時頼廟所横の「ヒュウガミズキ」は、まだ蕾です
 明月院ヒュウガミズキ1_R.JPG

 明月院ヒュウガミズキ2_R.JPG

 
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2022年03月15日

鎌倉東慶寺の今は 2022.3

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今、東慶寺は、「梅の香」であふれています。

松岡山東慶寺(山ノ内)
 ・臨済宗円覚寺派。1285年、北条時宗夫人の覚山尼が創建。
 ・後醍醐天皇の皇女だった五世用堂尼以来栄え、高い寺格を誇りました。
 ・二十世天秀尼は豊臣秀頼の娘で、徳川家康の孫娘千姫の養女でもあったため、
  江戸時代には徳川家の厚い庇護を受けました。
 ・「縁切り寺」「駆け込み寺」の名で広く知られ、尼寺として栄えました。

山門の前から、「梅」の花が出迎えてくれます
 東慶寺山門前_R.JPG

山門への参道の右側には、「サンシュユ」が咲いています
 東慶寺サンシュユ_R.JPG

白梅、紅梅、枝垂れ梅など、境内で満開の「梅」の様子
 東慶寺梅1_R.JPG

 東慶寺梅2_R.JPG

 東慶寺梅3_R.JPG

 東慶寺梅4_R.JPG

 東慶寺梅5_R.JPG

 東慶寺梅6_R.JPG

  東慶寺梅7_R.JPG

そのほかにも、「ラッパスイセン」が咲いています
 東慶寺ラッパスイセン_R.JPG

紅梅の奥では、「ハクモクレン」も咲き始めました
 東慶寺ハクモクレン1_R.JPG

 東慶寺ハクモクレン2_R.JPG

「ボケ」の花も見られます
 東慶寺ボケ_R.JPG

 
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2022年03月13日

鎌倉と源氏とのつながりのこと

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鎌倉検定に向けて、鎌倉散策で気づいたワンポイントを紹介していきます。

今回は、鎌倉と源氏とのつながりについてです。
源頼朝が1180年に鎌倉入りする前から、源氏は鎌倉と縁がありました。
そのルーツを見てみました。

鎌倉検定の出題から
 平忠常の乱平定の際,桓武平氏の〔 @ 〕は,〔 A 〕の武芸を認めて婿に迎え,鎌倉の屋敷を譲ったという。これによって〔 @ 〕に従属する相模の武士たちも〔 A 〕と緊密な関係を結ぶことになった。

※答えは、「@平直方 A源頼義」です。

 ・源氏と鎌倉の関係は、1031年に、源頼信・頼義父子が「平忠常の乱」を平定したのが
  きっかけです。

源頼信−頼義−義家−義親−為義−義朝−頼朝
・1028年、平忠常は安房、下総、上総で反乱を起こし、鎌倉を本拠地とした「平直方」が追討に向かったが、鎮圧できず、戦いは3年にも及びました。
・1031年、朝廷は、代わりに河内源氏の「源頼信」を追討使に任じ、頼信は乱を平定したので、頼信の名声は高まりました。
 「平直方」は、頼信の長男「頼義」の武芸を認めて婿に迎え、本拠地の鎌倉を譲り、自身は伊豆に移り、北条氏の祖となりました。
 「源頼義」が平直方から譲られた鎌倉の屋敷は、「亀ヶ谷」にありました。
・1145年、「源義朝」は先祖からの土地である「亀ヶ谷」に住みました。
 源義朝の館は「鎌倉之楯」といわれ、鎌倉五山第三位の壽福寺付近にありました。
・1159年の平治の乱で源義朝が死亡した後には、三浦義明の弟岡崎義実が、義朝供養のために堂を建てました。
 鎌倉地域は源氏の支配地ではなくなり、平家の代官である大庭景親などが相模武士団を指揮統括するようになりました。
・1180年、「源頼朝」が鎌倉入りし、源氏ゆかりの地鎌倉を根拠地としました。

亀谷山壽福金剛禅寺(扇ガ谷)
 ・1200年、北条政子が、日本に初めて臨済禅を伝えた臨済宗の祖、栄西を招いて開山
  しました。
 ・この地一帯は、源頼朝の父義朝の屋敷跡とされています。
「壽福寺」境内の説明板
 壽福寺説明板_R.JPG

源義朝の館、「鎌倉之楯」があった壽福寺の「総門」
 壽福寺_R.JPG

総門から中門へ向かう「参道」
 壽福寺参道中門へ_R.JPG

中門の先にある「仏殿」
 壽福寺仏殿_R.JPG

「参道」を中門から総門方向へ振り返って見る
 壽福寺参道総門へ_R.JPG

 
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