
今回は、鎌倉と源氏とのつながりについてです。
源頼朝が1180年に鎌倉入りする前から、源氏は鎌倉と縁がありました。
そのルーツを見てみました。
◎鎌倉検定の出題から
平忠常の乱平定の際,桓武平氏の〔 @ 〕は,〔 A 〕の武芸を認めて婿に迎え,鎌倉の屋敷を譲ったという。これによって〔 @ 〕に従属する相模の武士たちも〔 A 〕と緊密な関係を結ぶことになった。 |
※答えは、「@平直方 A源頼義」です。
・源氏と鎌倉の関係は、1031年に、源頼信・頼義父子が「平忠常の乱」を平定したのが
きっかけです。
◎源頼信−頼義−義家−義親−為義−義朝−頼朝
・1028年、平忠常は安房、下総、上総で反乱を起こし、鎌倉を本拠地とした「平直方」が追討に向かったが、鎮圧できず、戦いは3年にも及びました。 ・1031年、朝廷は、代わりに河内源氏の「源頼信」を追討使に任じ、頼信は乱を平定したので、頼信の名声は高まりました。 「平直方」は、頼信の長男「頼義」の武芸を認めて婿に迎え、本拠地の鎌倉を譲り、自身は伊豆に移り、北条氏の祖となりました。 「源頼義」が平直方から譲られた鎌倉の屋敷は、「亀ヶ谷」にありました。 ・1145年、「源義朝」は先祖からの土地である「亀ヶ谷」に住みました。 源義朝の館は「鎌倉之楯」といわれ、鎌倉五山第三位の壽福寺付近にありました。 ・1159年の平治の乱で源義朝が死亡した後には、三浦義明の弟岡崎義実が、義朝供養のために堂を建てました。 鎌倉地域は源氏の支配地ではなくなり、平家の代官である大庭景親などが相模武士団を指揮統括するようになりました。 ・1180年、「源頼朝」が鎌倉入りし、源氏ゆかりの地鎌倉を根拠地としました。 |
◎亀谷山壽福金剛禅寺(扇ガ谷)
・1200年、北条政子が、日本に初めて臨済禅を伝えた臨済宗の祖、栄西を招いて開山
しました。
・この地一帯は、源頼朝の父義朝の屋敷跡とされています。
<「壽福寺」境内の説明板>
<源義朝の館、「鎌倉之楯」があった壽福寺の「総門」>
<総門から中門へ向かう「参道」>
<中門の先にある「仏殿」>
<「参道」を中門から総門方向へ振り返って見る>