2022年04月25日

鎌倉鶴岡八幡宮のフジの今は 2022.4

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今、鶴岡八幡宮では、藤色と白い色の「フジ」の両方が見られます。

鶴岡八幡宮(雪ノ下)
 ・祭神は、応神天皇、比売神、神功皇后。
 ・1063年、源頼義が由比郷鶴岡に勧請したことに始まります。(由比若宮=元八幡)
 ・1180年、源頼朝が現在の地に遷座して鶴岡若宮と称しました。
 ・1191年、焼失後、若宮(下宮)を再建、このとき本宮が創建され、現在のような
  上下両宮の姿となりました。

鶴岡八幡宮の舞殿と本宮
 鶴岡八幡宮_R.JPG

鶴岡八幡宮の説明板
 鶴岡八幡宮説明板_R.jpg

源氏池の畔に「ノダフジ」の藤棚があります
 鶴岡八幡宮藤棚_R.JPG

 鶴岡八幡宮ノダフジ1_R.JPG

 鶴岡八幡宮ノダフジ2_R.JPG

 鶴岡八幡宮ノダフジ3_R.JPG

旗上弁財天社の社殿前に、花房の短い「シロカピタン」の藤棚があります
 旗上弁財天社藤棚1_R.JPG

 旗上弁財天社シロカピタン1_R.JPG

 旗上弁財天社シロカピタン2_R.JPG

 旗上弁財天社シロカピタン3_R.JPG

 
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2022年04月24日

鎌倉の「梶原太刀洗水」と「朝夷奈切通」のこと

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鎌倉検定に向けて、鎌倉散策で気づいたワンポイントを紹介していきます。

今回は、「鎌倉五名水」の一つで、梶原景時と上総介広常との因縁の「梶原太刀洗水」と、「鎌倉七口」の一つ「朝夷奈切通」についてです。
「梶原景時」は、「鎌倉殿の13人」のひとりです。

梶原太刀洗水(十二所)
・朝夷奈切通の太刀洗川に沿った岩肌から湧き出ている水で、「鎌倉五名水」の一つです。
・1183年、「梶原景時」は、源頼朝の命を受けて、頼朝が幕府を開くにあたり大きな功績のあった「上総介広常」を討ったあと、この水で、太刀の血のりを洗い流したといわれています。

朝夷奈切通(十二所)
・朝夷奈切通は、鎌倉と金沢(横浜市)を結ぶ切通で、六浦口とも呼ばれ、「鎌倉七口」の一つです。
・鎌倉の東側の守備と考えられ、鎌倉七口のなかで当時の姿を最も今に伝えています。
・和田義盛の三男で豪傑だった、朝比奈三郎義秀が一夜にして切り開いたとの伝承が存在し、朝比奈峠の名の起こりとなっています。
・1240年、幕府は鎌倉と六浦の間に道を開くことを決め、1241年、3代執権北条泰時が指揮を執り、率先して工事にあたり整備が完成しました。

「梶原太刀洗水」の場所と、「朝夷奈切通」から「十二所果樹園」への周回ルート
 朝夷奈切通地図.jpg

「梶原太刀洗水」
 ・十二所神社バス停から脇道に入ると、5分ほどで着きます。
 梶原太刀洗水1_R.JPG

 梶原太刀洗水2_R.JPG

「朝夷奈切通」〜「十二所果樹園」周遊(約1時間)
 @とF:「朝夷奈切通」入口(十二所果樹園との分岐点)、三郎の滝 :左方向へ
 朝夷奈切通入口_R.JPG

 三郎の滝_R.JPG

 ・朝夷奈切通の道
 朝夷奈切通1_R.JPG

 朝夷奈切通2_R.JPG

 朝夷奈切通3_R.JPG

 A:「朝夷奈切通」の熊野神社への分岐点(@から約15分) :右方向へ
 熊野神社分岐点_R.JPG

 B:熊野神社(横浜市金沢区朝比奈町)の鳥居、拝殿、社殿(Aから約5分)
 熊野神社鳥居_R.JPG

 熊野神社拝殿_R.JPG

 熊野神社本殿_R.JPG

 C:横浜市(東朝夷奈三信住宅方面)との分岐点(Bから約10分) :右方向へ
 東朝比奈三信住宅方面_R.JPG

 D:横浜市(六浦方面)との分岐点(Cから約10分) :右方向へ
 六浦方面_R.JPG

 E:十二所果樹園の東側入口(Dから約10分)
  ・案内板
 十二所果樹園_R.JPG

  ・冬の梅林
 十二所果樹園梅_R.JPG

  ・春のショカツサイの群生
 十二所果樹園ショカツサイ_R.JPG

※この後、十二所果樹園の中を通り抜け、@Fの地点の振り出しにたどり着きます。

 
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2022年04月23日

鎌倉浄妙寺の鎌足桜の今は 2022.4

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今、浄妙寺では、藤原鎌足ゆかりの八重桜、「鎌足桜」が満開です。

鎌足桜(浄明寺)
・藤原鎌足の祖父が高倉観音(千葉県)に子授けを祈願し、女の子を授かりました。その子が年頃になっても嫁ぎ先がなかなか決まらなかったため、再び観音様に祈願したところ、常陸国鹿島に嫁ぎ、男の子を授かりました。その子が、後の藤原鎌足と伝えられています。

・飛鳥時代、藤原鎌足が高倉観音へお礼参拝のため、この地を訪れたとき、持っていた桜の木の「杖」を傍らの土手に挿し、桜の木はそのまま根付きました。その後、土地の人々は鎌足に因んで「鎌足桜」と呼ぶようになったとのことです。

藤原鎌足の「鎌槍伝説」:鎌倉市の地名の由来
・稲荷大神から授けられた鎌を、常にお護りとして身につけていた藤原鎌足は、鹿島神宮参詣の途中で由比の里に宿泊しました。
・すると、神のお告げがあり、「宿願を成し遂げたので、鎌槍をこの地に埋めなさい」といわれ、所持していた鎌槍を大蔵の松ヶ岡に埋めたということです。
・この鎌足の「鎌槍」から「鎌倉」という地名がついたといわれています。
・なお、鎌足が鎌を埋めた伝説の地、大蔵の松ヶ岡は、浄妙寺の鎮守の鎌足稲荷社と鶴岡八幡宮境内の丸山稲荷社の2か所があります。

浄妙寺の鎌足桜
 鎌足桜1_R.JPG

 鎌足桜2_R.JPG

 鎌足桜3_R.JPG

 鎌足桜4_R.JPG

 鎌足桜5_R.JPG

 
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