
1186年、静御前が義経をしのんで詠い舞った「静の舞」についてです。
◎静御前
・平安後期〜鎌倉時代の白拍子。源義経の愛妾。
・源頼朝に追われた義経と逃げたが、捕えられ鎌倉に送られた。
◎「静の舞」に至る経緯
・源頼朝は、平家討伐を成し遂げた弟義経と不仲になり、義経追討の兵を挙げます。 ・義経は静とともに吉野山に逃れますが、ここで義経は静と別れて逃亡を続けます。 ・やがて静は捕らえられ、鎌倉へ送られて来ます。 ・頼朝は静に鶴岡八幡宮若宮回廊で舞を舞うように命じ、1186年、静は義経をしのんで詠い舞を舞います。 「よしの山 みねの白雪ふみ分けて いりにし人の あとぞこいしき」 「しづやしづ しづのをだまきくりかえし 昔を今に なすよしもがな」 ・しかし、頼朝は、幕府を称えることなく義経を慕う歌を詠い舞うのに怒ります。 ・それを見た北条政子は、かつて自分も頼朝を思い慕った気持ちを教え諭して、頼朝の怒りをなだめます。 ・その結果、頼朝は静に褒美を与え許します。 |
<「鎌倉まつり」の時に、古式ゆかしく舞殿で披露される「静の舞」>
<当時の「若宮回廊」とは、どんな形か>
・鶴岡八幡宮「若宮回廊」の模型(安土桃山時代の図面による再現)
<現在の舞殿(下拝殿)>
・1180年に源頼朝が創建した鶴岡八幡宮(鶴岡若宮)は、1191年に焼失しました。
・その後、再建し、現在のような上下両宮の姿となりました。
・1193年には、若宮廻廊跡に「舞殿(下拝殿)」が新造されました。
