
今回は、「八田知家」です。
※全体像は、「鎌倉検定対策−鎌倉殿の13人(総論)」を参照。
◎八田知家:(1142年?〜1218年?)

・源平合戦、奥州合戦で活躍し、源頼朝との篤い信頼関係を構築。
・第2代将軍源頼家の時に、13人の合議制の一員となりました。
・源頼家の命で、源頼朝の異母弟の阿野全成を謀殺しました。
・没年は不詳。
<八田知家の年表>
1142年? | ・下野国を本拠とした「宇都宮氏」2代当主「宇都宮宗綱」:別称[八田宗綱]の四男として誕生という史料がある。 ・「尊卑分脈」では、「源義朝」の実子とする伝承を載せている。 ・姉妹に源頼朝の乳母のひとりである「寒河尼」がいる。 | 1180年 | ・源頼朝が伊豆で挙兵し、頼朝の配下となり、各地の合戦で活躍した。 | 1185年 | ・源範頼の軍勢に付き従い、「壇ノ浦の戦い」で活躍した。 | 1193年 | ・同じ常陸国の武士の多気義幹(たけよしもと)が謀反を起こそうとしていると鎌倉幕府に報告した。 ・多気義幹の所領であった常陸国は没収され、八田知家は、自身の本拠を下野国から常陸国へ移動した。 | 1199年 | ・源頼朝が急死すると、跡を継いだ源頼家を補佐するための13人の合議制の一翼を担った。 | 1203年 | ・謀反の疑いで宇都宮氏に預けられていた源頼朝の異母弟・阿野全成を、頼家の命で下野国で誅殺した。 | 1218年? | ・源義朝の時から源氏に仕えたが、没年は不詳。1218年死去という史料もある。 ・墓は、茨城県笠間市の「宍戸清則家」の墓地内に、五輪塔が建てられたと伝えられている。 |
<八田知家の系図>
・父は、下野国を本拠とした「宇都宮氏」2代当主「宇都宮宗綱」(うつのみやむねつな:別称[八田宗綱])。 ・姉妹に源頼朝の乳母のひとりである寒河尼がいる。 |