
「大町四つ角」から南の方向に、横須賀線の踏切まで歩きます。
※『吾妻鏡』建長3年12月3日条では、商業活動を行う場所として「大町・小町・米町・
亀谷辻・和賀江・大倉辻・気和飛坂山上」の7か所を指定しています。
<名所・旧跡の場所>

<@「町屋址」の石碑>
・町屋とは、道に面して軒を接して並ぶ商人や職人たちの家で、この辺りが鎌倉の商業地域の一つであったと見られます。
この辺りは、昔の鎌倉繁栄当時の商業地域であり、その中央の大路を大町大路と呼んでいました。
その他、米町、辻町、魚町、名越などの区域がありました。
それぞれの町屋のあった所と思われ、時々吾妻鏡に記載されています。
現在もその地名が残っています。
<A鎌倉十橋の一つ「逆川橋(さかがわばし/さかさがわばし)」>
・住宅地の中にある逆川は、大町・名越の奥から流れてきて、滑川に合流する川だが、名越から流れる川筋が屈曲して北上し、川の流れが逆行しているように見えます。
・普通は海に向かって南へ流れている流れが、再び山に向かって逆行するこの辺りに橋が架けられているので、「逆川橋」と呼ばれています。
<B法華山本興寺(大町)>
・1336年創建。日蓮宗。開基は天目。開山は日什。「日蓮辻説法の碑」が建てられている。
・徳川家康に寺領を寄進されたこともあるが、27世日徑が家康の怒りに触れ、処刑されたことなどから、廃寺となったが再興された。
・山門前の「日蓮大聖人辻説法之舊地」の石碑
・本堂前に、「サルスベリ」の大木がありますが、開花していません。
<C辻の薬師堂(大町)>
・薬師堂には薬師三尊像及び鎌倉時代作の十二神将像が安置されていましたが、堂内の像は、現在は鎌倉国宝館へ移管されました。
・十二神将立像は、覚園寺の十二神将立像の原型といわれているとのことです。
※「戌神将」については、「鎌倉国宝館HPの収蔵品紹介」を参照。
※なお、この先の踏切を渡って、右手に行くと「元八幡(由比若宮)」があります。