2017年02月06日

鎌倉検定−頼朝の鎌倉入り(1189年6月13日)を読む(11)

 鎌倉検定合格を目指して、「読んで分かる中世鎌倉年表」(→ココ参照)を読みながら、今の鎌倉を見てみましょう。

P文治5年(1189)6月13日
 奥州から藤原泰衡の使者が源義経の首を腰越浦に持参し、和田義盛・梶原景時がこれを実検する。義経の首は黒漆の櫃に納め、美酒に浸されて運ばれてきたもので、見るものみな涙を流したという。
 前々年、藤原秀衡を頼って平泉に逃れていた義経であったが、秀衡死後、頼朝の圧力を受けたその子泰衡によって討たれたものである。
 なお、義経の首は、後日、藤沢に葬られたとも伝えられている。

◎義経の首の検分が行われたといわれている「満福寺
 ※「鎌倉検定−頼朝の鎌倉入り(1185年5月24日)を読む(7)」を参照。
 満福寺山門.JPG

<本堂にある「三十二面のふすま絵」の一つ>
 満福寺ふすま絵.JPG

 ※奥州藤原氏
 「藤原清衡―基衡―秀衡―泰衡」の四代で、11世紀後半から約100年間、奥州に繁栄を極めた。
 清原清衡が藤原姓を名乗り、平泉を根拠地として勢力をはったのが始まり。

腰越海岸
腰越海岸から見る江の島
 腰越海岸.JPG

腰越漁港入口
 腰越漁港入口.JPG

腰越漁港に新設された堤防道
 腰越漁港堤防.JPG

堤防の先から見る腰越漁港
 腰越漁港.JPG
 
posted by トシ999 at 11:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 鎌倉検定 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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