(26)正治元年(1199)正月13日 征夷大将軍源頼朝が死去する(53歳)。 前年11月、稲毛重成が亡妻の冥福を祈るために新造した相模川の橋供養に参列しているが、その帰路に落馬したこと、また「飲水重病(重い糖尿病)」などが死因としてあげられている。 のち2月6日には宣旨が到着し、嫡男頼家が頼朝の遺跡を相続する。ただし、頼家が正式に征夷大将軍に任じられるのは、建仁2年(1202)7月のことになる。 |
◎源頼朝(1147〜1199)
<「頼朝の墓」の場所>

<「頼朝の墓」の案内板>
<「頼朝の墓」へ通じる53段(53歳で死去)の階段>
<源頼朝の墓(西御門)>
1779年、江戸時代に頼朝の子孫と称した薩摩藩主・島津重豪(しげひで)が建てたもの。
この辺りが法華堂跡とされ、もとは頼朝の持仏堂で、1189年に聖観音を本尊として建てられました。
<墓石に付いている島津家の家紋「丸に十の字」>
<「法華堂跡の石碑」と「白旗神社」>
明治時代になり廃され、1872年、「白旗神社」となりました。
<源頼朝の落馬の地>
ここでは、「落馬の地」といわれている鎌倉市の隣の「藤沢市辻堂」の場所です。
落馬は、もともと病気であったから、弟源義経や叔父源行家らの亡霊に遭遇したから落馬したとも伝えられています。