2017年04月21日

鎌倉検定−天変地異起こる(1232年7月12日)を読む(6)

 鎌倉検定合格を目指して、「読んで分かる中世鎌倉年表」(→ココ参照)を読みながら、今の鎌倉を見てみましょう。

今回は、「和賀江嶋の築港」です。
L貞永元年(1232)7月12日
 勧進聖人往阿弥陀仏が鎌倉への船の着岸の煩いをなくすために、和賀江嶋を築くことを幕府に申請した。
 早くも8月9日には執権北条泰時以下の助力を得て完成している。
 のち建長5年(1253)ごろには、「和賀江の津の材木」といわれるほど、この付近は材木の売買が盛んな地となっている。

和賀江嶋
和賀江嶋の場所> 
 現在の鎌倉市材木座の東南の端に位置しています。
 「和賀」は、もともと「材木座」の古名ともいわれています。
 和賀江嶋地図.jpg

和賀江嶋の様子
 現存する日本最古の築港遺跡。
 相模川や酒匂川、伊豆近辺から運んだ石を積み上げ、約1ヶ月で完成したといわれています。
 材木座は遠浅の海なので、大型船も安全に出入りできるよう港湾整備の必要がありました。
 和賀江嶋.JPG

材木座の地名の由来
 1232年、和賀江嶋が造られて船着場ができると、遠くから材木などを運ぶのに便利な所となり、鎌倉の建築資材の集散地として一層にぎわい、多くの材木商人がこの地に住みつきました。
 この地域に集住した材木商人の組合(座)が結成され、それが地名の由来となったといわれています。
材木座海岸の様子
 材木座海岸.JPG

御成敗式目(貞永式目)
 同じ年の1232年8月10日に、執権北条泰時は、武士のための法典である「御成敗式目」を制定しています。

 
posted by トシ999 at 15:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 鎌倉検定 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/449152056

この記事へのトラックバック