今回は、「若宮大路御所への移転」です。
O嘉禎2年(1236)8月4日 第4代将軍藤原(九条)頼経が宇津宮辻子御所から北側の若宮大路の新造された御所に移る。これが第一期若宮大路御所である。 この新御所は、宇津宮辻子御所の北西にあったが、この両御所は同一区画内にあり、宇津宮辻子を主にして呼んだのが宇津宮辻子御所であり、他方、若宮大路を主として呼んだのが若宮大路御所である。 この御所の移転によって鎌倉の町の中心は鶴岡八幡宮・大倉御所・永福寺を結ぶ地域から、鶴岡八幡宮とそれから南に延びる若宮大路に移って行く。 |
◎若宮大路御所
「若宮大路幕府」は、1236年〜1333年まで、97年間の将軍御所でありました。
この間、将軍は、「藤原頼経→藤原頼嗣→宗尊親王→惟康親王→久明親王→守邦親王」と代わっていきました。
<「若宮大路幕府」の場所>
「宇津宮辻子幕府」の北側に位置しました。

※「宇津宮辻子幕府」については、「鎌倉検定−天変地異起こる(1225年12月20日)を読む(4)」を参照。
<「若宮大路幕府跡」の石碑>
執権北条泰時は、1236年12月に「若宮大路新御所」の北隣に自邸を新造して移りました。
<段葛と若宮大路の遠景>