2017年04月23日

鎌倉検定−天変地異起こる(1241年4月5日)を読む(8)

 鎌倉検定合格を目指して、「読んで分かる中世鎌倉年表」(→ココ参照)を読みながら、今の鎌倉を見てみましょう。

 今回は、「朝夷奈切通の開通」です。
S仁治2年(1241)4月5日
 前年に延期されていた鎌倉と六浦津を結ぶ道路建設が再開される。
 幕府は工事を急いだが、峠坂を越える道はずいぶん難工事となった。完成を急ぐ北条泰時はみずから現場に出かけて監臨すると、人々が集まってきて土石をはこんだと伝えている。
 このときの工事で朝夷奈の切通が開削され六浦路が整備された。

朝夷奈切通
朝夷奈切通の場所
朝夷奈切通地図.jpg鎌倉と金沢(横浜市)を結ぶ切通で、六浦口とも呼ばれている。

鎌倉の東側の守備と考えられ、鎌倉七口のなかで当時の姿を最も今に伝えている。

 ※鎌倉への出入り口は「鎌倉七口」と呼ばれて七つあり、出入り口として整備された。
 →「鎌倉の道、鎌倉七口についてのまとめ」を参照。

鎌倉側の入り口
 朝夷奈切通入口.JPG

まず「三郎の滝」があります
 1240年、幕府は鎌倉と六浦の間に道を開くことを決めました。
 3代執権北条泰時が指揮を執り、率先して工事にあたったが、鎌倉幕府の侍所の初代別当(長官)となった和田義盛の三男で豪傑といわれた朝比奈三郎義秀が一夜にして切り開いたとの伝承が存在し、朝比奈峠の名の起こりとなっています。
 三郎の滝.JPG

紅葉シーズンの「朝夷奈切通」
 冬の朝夷奈切通1.JPG

 冬の朝夷奈切通2.JPG

 冬の朝夷奈切通3.JPG

 冬の朝夷奈切通4.JPG

 冬の朝夷奈切通5.JPG

 冬の朝夷奈切通6.JPG

 冬の朝夷奈切通7.JPG

北条泰時は、1240年に「巨福呂坂」の整備も行っています。

 
posted by トシ999 at 11:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 鎌倉検定 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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