2017年04月27日

鎌倉検定−天変地異起こる(1242年3月3日)を読む(9)

 鎌倉検定合格を目指して、「読んで分かる中世鎌倉年表」(→ココ参照)を読みながら、今の鎌倉を見てみましょう。

 今回は、「鎌倉中の闘乱」です。
(21)仁治3年(1242)3月3日
 鎌倉幕府は鎌倉中の僧徒の闘乱や殺害が多発するなかで、僧徒・法師・童子・力者の兵仗の携帯を禁じた。
 文暦2年(1235)にも同様の禁止令を鎌倉中に出しているが、闘乱の具体的な原因ははっきりしない。

この頃の出来事と3代執権「北条泰時」の功績
1232年、材木座に「和賀江嶋」を築港。「御成敗式目」を制定。  
1236年、将軍藤原頼経が若宮大路の幕府に移る。
1240年、巨福呂坂を整備。
1241年、朝夷奈切通完成。
1242年6月、北条泰時没。 

粟船山常楽寺(大船)
 山門を入った奥の仏殿裏に「北条泰時の墓」があります。
 ※このお寺については、「鎌倉大船のお寺を見る(粟船山)」を参照。
 常楽寺山門.JPG

墓の石碑と「北条泰時の墓」
 墓の石碑.JPG

 北条泰時の墓.JPG

執権の系統
 執権経時の系図.jpg

 「北条時氏」は、第4代執権となることを期待されていたが28歳の若さで亡くなりました。
 そのため、1242年6月、時氏の長男・「経時」が19歳で4代執権に就任しました。

 
posted by トシ999 at 21:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 鎌倉検定 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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