2017年05月11日

鎌倉検定−天変地異起こる(1246年3月23日)を読む(11)

 鎌倉検定合格を目指して、「読んで分かる中世鎌倉年表」(→ココ参照)を読みながら、今の鎌倉を見てみましょう。

 今回は、「北条時頼の第5代執権就任」です。
(24)寛元4年(1246)3月23日
 北条経時が弟時頼に執権を譲る。執権経時は重病となっていたが、経時邸で「深秘の御沙汰」が行われ、経時の子息が幼少であるため、弟の時頼に執権を譲ることが決められる。
 25日に、時頼は将軍藤原(九条)頼嗣と前将軍頼経に執権就任を報告し、26日には、評定を始めている。
 4月19日に、経時は僧良信を戒師として出家し、閏4月1日に病死する。
 閏4月下旬から、鎌倉は不穏な情勢となる。

 ※「深秘の御沙汰」とは?
 北条氏嫡流の当主である得宗の私邸で開かれた秘密会議。
 一門の主だったものなど、少人数で行われ、やがて幕府の重要な政策決定機関としての寄合になっていきました。

天照山光明寺
 浄土宗の大本山で、1243年創建。
 開山:然阿良忠(記主禅師)。開基:北条経時
 経時が然阿良忠を招いて創建した佐助ヶ谷の蓮華寺を、1243年に材木座に移して「光明寺」と改めました。
「本堂」:今の時期は緑に囲まれています
 光明寺本堂.JPG

 ※このお寺については、「鎌倉材木座のお寺を見る(天照山)」を参照。

「光明寺裏山の展望」:今の時期は、少し緑が多く視界は悪いです
 1979年(昭和54年)に定められた「かながわの景勝50選」のうちで、鎌倉にある3ヶ所のうちの1つです。
 光明寺裏山の展望.JPG
 ※他の2ヶ所については、「鎌倉市の「かながわの景勝50選」についてのまとめ」を参照。

北条経時(1224〜1246年)
 父時氏の早世で、19歳で4代執権になり、23歳の若さで亡くなりました。
北条経時の墓
 北条経時の墓.JPG
 ※場所の地図は「ココ」を参照。

北条時頼(1227〜1263年)
 第5代執権。父・時氏と早くに死別したため、祖父・泰時に養育され、その才能を高く評価されていました。しかし、幕府の中枢にある評定衆のメンバーの大半が、時頼を支持していませんでした。
 1246年5月25日、「宮騒動」が勃発しました。
藤原(九条)頼経の側近で北条氏の一門の「名越光時」が、時頼を討とうとする計画を立てたとの嫌疑をかけられ、出家するという事態が発生。
時頼は反対勢力を一掃し、7月11日に、藤原(九条)頼経を京都に強制送還。

北条時頼と名越光時の系図
 執権時頼の系図.jpg

 
posted by トシ999 at 14:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 鎌倉検定 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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