今回は、「引付の設置」です。
(28)建長元年(1249)12月9日 幕府が引付を設置する。 執権北条時頼による訴訟制度の改革。裁判の迅速化をはかるため、御家人の所領に関する訴訟を担当する機関として引付を新設する。 一番の頭人に北条政村、二番の頭人に北条朝直、三番の頭人に北条資時が就任する。 12月13日には、二階堂行方らが引付衆に就任する。 |
◎北条政村(1205〜1273年)
北条義時の子。
母は伊賀朝光の娘。義時死去時には、伊賀氏を中心に北条政村を執権にする動きがありました。(伊賀氏の変)
・1224年6月、北条泰時が執権に指名されたとき、これを不満として義時の後妻伊賀氏は、兄の伊賀光宗らとはかり、女婿一条実雅を将軍、実子北条政村を執権に立てようとしたが、失敗に終わりました。 ・このとき、政村にはお咎め無しでした。 |
長期にわたり、北条氏一門の長老として、得宗政権を支えました。
北条氏常盤亭跡(常盤)は、政村の邸宅跡といわれています。
◎北条氏常盤亭跡の平場
<平場の奥には、やぐらがあります>
<やぐらの右側に立っている説明版>
◎北条朝直(ともなお)(1206〜1264年)
北条時房の四男。時房の嫡男となった。
妻は北条泰時の娘で、評定衆や引付頭人として得宗政権を支えました。
◎北条資時(すけとき)(1199〜1251年)
北条時房の三男。22歳で出家。和歌の才がありました。
<北条氏の系図>
