2017年05月18日

鎌倉検定−天変地異起こる(1249年12月9日)を読む(13)

 鎌倉検定合格を目指して、「読んで分かる中世鎌倉年表」(→ココ参照)を読みながら、今の鎌倉を見てみましょう。

 今回は、「引付の設置」です。
(28)建長元年(1249)12月9日
 幕府が引付を設置する。
 執権北条時頼による訴訟制度の改革。裁判の迅速化をはかるため、御家人の所領に関する訴訟を担当する機関として引付を新設する。
 一番の頭人に北条政村、二番の頭人に北条朝直、三番の頭人に北条資時が就任する。
 12月13日には、二階堂行方らが引付衆に就任する。

北条政村(1205〜1273年)
 北条義時の子。
 母は伊賀朝光の娘。義時死去時には、伊賀氏を中心に北条政村を執権にする動きがありました。(伊賀氏の変
・1224年6月、北条泰時が執権に指名されたとき、これを不満として義時の後妻伊賀氏は、兄の伊賀光宗らとはかり、女婿一条実雅を将軍、実子北条政村を執権に立てようとしたが、失敗に終わりました。
 ・このとき、政村にはお咎め無しでした。

 長期にわたり、北条氏一門の長老として、得宗政権を支えました。
 北条氏常盤亭跡(常盤)は、政村の邸宅跡といわれています。
北条氏常盤亭跡の平場
 タチンダイ:北条氏常盤亭跡の平場.JPG

平場の奥には、やぐらがあります
 タチンダイのやぐら.JPG

<やぐらの右側に立っている説明版>
北条氏常盤亭跡説明版.JPG

北条朝直(ともなお)(1206〜1264年)
 北条時房の四男。時房の嫡男となった。
 妻は北条泰時の娘で、評定衆や引付頭人として得宗政権を支えました。

北条資時(すけとき)(1199〜1251年)
 北条時房の三男。22歳で出家。和歌の才がありました。

北条氏の系図
 執権の系図1.jpg

 
posted by トシ999 at 13:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 鎌倉検定 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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