2017年07月22日

鎌倉検定−蒙古の襲来(1324年9月23日)を読む(18)

 鎌倉検定合格を目指して、「読んで分かる中世鎌倉年表」(→ココ参照)を読みながら、今の鎌倉を見てみましょう。

 今回は、「正中(しょうちゅう)の変」です。
(30) 元亨4年(1324)9月23日
 六波羅探題への密告により、倒幕計画が発覚する(正中の変)。
 後醍醐天皇は、この日、釈明のために、勅使万里小路宣房を鎌倉に派遣する。10月には、倒幕計画に参加した日野資朝・俊基らが鎌倉に護送される。翌年、日野資朝は佐渡に配流となる。
 後醍醐天皇は、宣房の告文によって罪に問われず、虎視眈々と次の機会をうかがうことになる。

日野資朝(1290〜1332年)・日野俊基(?〜1332年)
 いずれも、1318年に即位した後醍醐天皇の親政に参加し、討幕計画に加わった公卿。
 日野家は代々天皇に仕える名家。資朝の父俊光は持明院統の重臣であったので、大覚寺統の後醍醐天皇に従った資朝に怒り、親子の縁を切ったといわれています。

後醍醐天皇(1288〜1339年)
 鎌倉時代後期から南北朝時代初期の第96代天皇。名は尊治。後宇多天皇の第2皇子。
 1318年に即位後、天皇親政を復活させ改革に努めたが、天皇政治をはばむ鎌倉幕府に敵意を抱き、日野資朝・俊基らの公卿とともに討幕計画を進めました。

 「正中の変」(1324年)と「元弘の変」(1331年)の2度の鎌倉幕府打倒計画は失敗に終わったが、流罪から復帰して、1333年、鎌倉幕府を滅亡させました。

鎌倉幕府もいよいよ大詰めです!!
鎌倉幕府滅亡までの権力者の変遷
・将軍の推移 久明親王→1308年「守邦親王」  
・執権の推移 北条高時→→→→1326年2月「金沢貞顕」→1326年4月「赤橋守時」  
・天皇の推移 花園天皇→→1318年「後醍醐天皇」  

 ※「守邦親王」は、将軍在位期間が最長の25年です。
 ※「金沢貞顕」は、執権在任期間が最短の2ヶ月です。
  →「鎌倉検定−蒙古の襲来(1285年11月17日)を読む(10)」を参照。

 
posted by トシ999 at 16:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 鎌倉検定 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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