2017年07月26日

鎌倉検定−蒙古の襲来(1331年5月5日)を読む(20)

 鎌倉検定合格を目指して、「読んで分かる中世鎌倉年表」(→ココ参照)を読みながら、今の鎌倉を見てみましょう。

 今回は、「元弘の変」です。
(33)元弘元年(1331)5月5日
 吉田定房の密告により、再度、後醍醐天皇の倒幕計画が発覚した。元弘の変である。
 後醍醐天皇は御所を脱出するが捕えられ、翌年、隠岐に配流となる。
 日野俊基も、葛原ヶ岡で処刑され、日野資朝も配流先の佐渡で処刑される。

吉田定房(1274〜1338年)
 鎌倉後期〜南北朝時代の公卿。後宇多天皇・後醍醐天皇の信任が厚かった人です。
 「元弘の変」では幕府に事前に通報したが、鎌倉幕府滅亡後の建武の新政においても後醍醐天皇に重用されました。

 北畠親房、万里小路宣房と合わせて「後の三房」と呼ばれました。
 ※「万里小路宣房」は、「正中の変」でも登場していました。
  →「鎌倉検定−蒙古の襲来(1324年9月23日)を読む(18)」参照。

日野俊基の墓
 俊基は後醍醐天皇に仕えた公家で、討幕計画に参加したかどで、1332年、葛原ヶ岡で斬首されました。
 処刑の直前に俊基は歌を詠みました。
  「秋をまたで 葛原岡に消ゆる身の 露のうらみや 世に残るらん

「日野俊基の墓」の場所は、葛原岡神社の社殿とは少し離れています
日野俊基の墓の場所.JPG

「史跡 日野俊基墓」と書かれた石柱の奥に墓があります
 日野俊基の墓全景.JPG

 日野俊基の墓所の石碑.JPG

 日野俊基の墓.JPG

葛原岡神社(梶原)
 1887年(明治20)創建。由比ヶ浜の鎮守。祭神は、文章博士の「日野俊基」。
 後醍醐天皇の忠臣として鎌倉幕府倒幕に活躍した「日野俊基」を祀っています。
 明治天皇は、「日野俊基」に明治維新の先駆けとして深い思いを寄せ、明治20年、俊基の最期の地に社殿を造営しました。

社殿
 葛原岡神社.JPG

 葛原岡神社社殿.JPG

説明版
葛原岡神社説明版.JPG

「俊基卿終焉之地」の石碑が、社殿の左側にあります
 日野俊基終焉の地石碑1.JPG

 日野俊基終焉の地石碑2.JPG

 
posted by トシ999 at 15:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 鎌倉検定 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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