2018年06月30日

鎌倉ゆかりの人物―大舘宗氏のあれこれ

「鎌倉検定公式テキストブック(新版改訂)」から、鎌倉ゆかりの人物を見てみました。

今回は「鎌倉時代末期の武将「大舘宗氏」」です。

大舘宗氏(おおだち むねうじ)(1288〜1333年)
 ・義兄弟にあたる新田義貞と共に、鎌倉幕府に対し挙兵しました。
  鎌倉攻めにおいて、宗氏は極楽寺切通から突入する部隊の大将。

新田義貞の鎌倉攻めのルートの概略
鎌倉攻めのルート.jpg

稲村ヶ崎駅の近くに建つ「十一人塚」
 ・大舘宗氏は、極楽寺切通へ攻め入ったが、鎌倉軍に反撃され、稲瀬川で、宗氏以下、
  十一人が討死しました。
 ・葬られた場所に十一面観音像が建てられ、霊を弔ったので、「十一人塚」と呼ばれ、
  その地には石碑や塔婆が建てられました。
 十一人塚1.JPG

 十一人塚2.JPG

十一人塚の石碑
十一人塚石碑.JPG元弘三年(1333)5月19日、新田勢大舘又次郎宗氏を大将として、極楽寺口から鎌倉に攻め入ろうとしている時に、敵の本間山城左衛門が、兵を率いて大舘の本陣に切込みました。

その為に、宗氏主従11人が戦死しました。

その遺体をここに埋め、十一面観音の像を建ててその魂を弔いました。

これを十一人塚と称したと伝えられています。

「十一人塚」の場所
十一人塚地図.jpg

江ノ電 稲村ヶ崎駅
 稲村ヶ崎駅.JPG

 
posted by トシ999 at 08:00| Comment(0) | 鎌倉検定 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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