
今回は「鎌倉時代末期の武将「大舘宗氏」」です。
◎大舘宗氏(おおだち むねうじ)(1288〜1333年)
・義兄弟にあたる新田義貞と共に、鎌倉幕府に対し挙兵しました。
鎌倉攻めにおいて、宗氏は極楽寺切通から突入する部隊の大将。
<新田義貞の鎌倉攻めのルートの概略>

<稲村ヶ崎駅の近くに建つ「十一人塚」>
・大舘宗氏は、極楽寺切通へ攻め入ったが、鎌倉軍に反撃され、稲瀬川で、宗氏以下、
十一人が討死しました。
・葬られた場所に十一面観音像が建てられ、霊を弔ったので、「十一人塚」と呼ばれ、
その地には石碑や塔婆が建てられました。
<十一人塚の石碑>
その為に、宗氏主従11人が戦死しました。
その遺体をここに埋め、十一面観音の像を建ててその魂を弔いました。
これを十一人塚と称したと伝えられています。
<「十一人塚」の場所>

<江ノ電 稲村ヶ崎駅>