
今回は「同じ時期に活躍した日蓮上人と忍性上人」です。
◎日蓮(1222〜1282年)
・日蓮宗の開祖。1253年、安房国から名越切通を越えて鎌倉に入り、その地「松葉ヶ
谷」に庵を結びました。それが、「安国論寺」とも「妙法寺」ともいわれています
が、はっきりしません。
・1260年、『立正安国論』を5代執権北条時頼に上書しました。
・過激な他宗批判、政治批判を行い、4回の法難に会いました。
◎忍性(1217〜1303年)
・真言律宗の僧。極楽寺の開山。
・貧民救済のため、悲田院、施薬院などの療養施設を開設しました。
・道路や橋、井戸の修築など土木事業にも尽力しました。
<「日蓮」と「忍性」の大勝負「田辺が池の雨乞い伝説」>
・1271年、大干ばつに襲われたため、8代執権北条時宗は極楽寺の「忍性」に雨乞い
祈祷を命じたが、雨はついに降らなかった。
替わって「日蓮」が法華経を唱え始めると、大雨が降り始め、この勝負は日蓮の勝利
に終わったという伝説です。
・この「田辺が池」は、「霊光寺(七里ヶ浜)」の山門の左手にあります。
・霊光寺は、明治の末、「日蓮大菩薩祈雨之旧跡地」と記した石塔が出土したので、
この地に本堂を建立したのが寺の始まりです。
※「鎌倉の寺院に建つ石碑のこと−(2017年鎌倉検定1級の問題から)」を参照。
<「日蓮上人」ゆかりの主な寺院>
楞厳山妙法寺(大町) | ・1253年創建。日蓮が草庵を結んだ地。 →「鎌倉大町のお寺を見る(楞厳山(りょうごんざん))」を参照。 |
妙法華経山安国論寺(大町) | ・1260年、日蓮は、安国論寺の日蓮岩窟(「御法窟」)で立正安国論を書きました。 ・日蓮の桜の杖が根付いたといわれる「妙法桜」(ヤマザクラ)や、日蓮が白猿に導かれた伝説の洞窟「南面窟」があります。 →「鎌倉大町のお寺を見る(妙法華経山)」を参照。 |
石井山長勝寺(材木座) | ・1263年創建。日蓮に帰依していた石井藤五郎長勝が、流されていた伊豆から鎌倉に戻った日蓮のために結んだ庵が寺の起源。 →「鎌倉材木座のお寺を見る(石井山)」を参照。 |
慧雲山常栄寺(大町) | ・1606年創建。開山は日詔。愛称は、「ぼたもち寺」です。 →「鎌倉常栄寺の愛称は?」を参照。 |
行時山光則寺(長谷) | ・1274年創建。開山は日朗。開基は宿谷光則。 ・日蓮の佐渡流罪前夜、日蓮が日朗に送った手紙「土牢御書」の石碑があります。 →「鎌倉長谷のお寺を見る(行時山)」を参照。 |
<日蓮上人関連史跡について>
日蓮上人辻説法跡(小町) | ・明治時代の日蓮宗学者の田中智学がその周囲を整備しました。 →「鎌倉妙隆寺の界隈を見る 2017.9」を参照。 |
日蓮袈裟掛松(稲村ヶ崎) | ・鎌倉十橋の針磨橋から稲村ヶ崎駅に向かう途中にあります。 →「2016年鎌倉検定2級の問題からpickupする(3)」を参照。 |
日蓮乞水(大町) | ・鎌倉五名水の一つ。長勝寺前から旧名越切通に通じる道の途中にあります。 →「鎌倉五名水についてのまとめ」を参照。 |
<その他の「日蓮」の関連事項>
「日蓮四大法難」とは | ・松葉ヶ谷法難(1260年)・伊豆法難(1261年) ・小松原法難(1264年)・龍ノ口法難(1271年) →「鎌倉検定−天変地異起こる(1260年7月16日)を読む(16)」を参照。 |
各寺院にある「日蓮上人像」 | ・海潮山妙長寺(材木座)・長興山妙本寺(大町) ・龍王山霊光寺(七里ヶ浜)・石井山長勝寺(材木座) →「日蓮上人像のこと―鎌倉検定2014年1級の問題から見た鎌倉(16)」参照。 |
<「忍性上人」の功績や史跡について>
・「極楽寺切通」(坂ノ下から極楽寺の門前まで続く坂道)を切り開きました。
→「鎌倉の道、鎌倉七口についてのまとめ」を参照。
・極楽寺の裏手に「忍性菩薩廟(忍性墓)」があります。:毎年4月8日特別公開。
→「鎌倉極楽寺の4月の特別公開のこと−(2017年鎌倉検定1級の問題から)」を参照。
※「忍性墓」の写真→「文化遺産オンライン:忍性墓」を参照。