2018年10月22日

鎌倉ゆかりの人物―北条経時・時頼のあれこれ

「鎌倉検定公式テキストブック(新版改訂)」から、鎌倉ゆかりの人物を見てみました。

今回は「4〜5代執権、北条経時・時頼」です。

北条経時
1224
 〜1246年
・鎌倉幕府4代執権。北条泰時の孫。
・父時氏の早世で、19歳で4代執権になりましたが、執権職の心労により重病となり、1246年に弟の時頼に執権職を譲り、23歳の若さで亡くなりました。
北条時頼
1227
 〜1263年
・鎌倉幕府5代執権。北条泰時の孫で、北条経時の弟。
・父時氏と早くに死別したため、祖父・泰時に養育され、その才能を高く評価されていました。
・反北条勢力を一掃し、北条氏の権力を堅固なものとしました。
・寺社を保護し、禅を篤く信仰。蘭渓道隆を開山に招き、建長寺を創建しました。

北条氏の系図(執権1〜5代)
 北条氏執権4-5.jpg

「北条経時」の主な功績や執権時代の出来事
浄土宗の大本山
天照山光明寺
・「北条経時」が然阿良忠を招いて創建した佐助ヶ谷の蓮華寺を、1243年に材木座に移して「光明寺」と改めました。
・「経時の墓」は、光明寺裏山の中腹にあります。
深沢に木製の鎌倉大仏建立・1243年6月、勧進聖人浄光房の6年間の勧進活動により、八丈余の阿弥陀像(大仏)が建立される。僧良信を導師として供養が行われる。
・この時に供養された大仏は、木製。
鎌倉幕府第5代将軍に藤原頼嗣就任・1244年4月、藤原(九条)頼経の子頼嗣が元服し、頼嗣は征夷大将軍となる。
・頼嗣は、「北条経時」の妹である檜皮姫を御台所に迎える。

1847年に再建された鎌倉に現存する最大の「天照山光明寺の山門」> 
 光明寺山門.JPG
 ※このお寺については、「鎌倉材木座のお寺を見る(天照山)」を参照。

光明寺裏山の中腹にある「北条経時の墓」
 北条経時墓.JPG

「北条時頼」の主な功績や執権時代の出来事
1246年、「宮騒動・藤原(九条)頼経の側近で北条氏の一門の「名越光時」が、北条時頼を討とうとする計画を立てたとの嫌疑をかけられ、出家するという事態が発生。
北条時頼は反対勢力を一掃し、7月11日に、藤原(九条)頼経を京都に強制送還。
1247年、「宝治合戦北条時頼と三浦氏が対立し、時頼は、外祖父の安達景盛とともに、三浦氏を攻撃。
・三浦泰村は、源頼朝の法華堂に籠り、弟の光村らとともに源頼朝の法華堂で自害しました。
1249年、幕府が「引付」を設置北条時頼による訴訟制度の改革。
 裁判の迅速化をはかるため、御家人の所領に関する訴訟を担当する機関として引付を新設しました。
1252年、金銅製の「鎌倉大仏」建立・8月に金銅の大仏が鋳られ始めました。
・この時に建立されたのが、現在の鎌倉大仏(高徳院阿弥陀如来像)。
1253年、巨福山建長寺を創建

※「北鎌倉のお寺を見る(巨福山)」を参照。
北条時頼は、宋の蘭渓道隆を招いて日本で初めての「禅専門道場」である「建長寺」を創建。

・「建長寺の梵鐘」は国宝に指定されており、1255年、北条時頼が大旦那となり、鋳物師物部重光によって鋳造されました。
1256年、出家 ・1260年、日蓮が『立正安国論』を北条時頼に上書。それにより、日蓮の松葉ヶ谷法難が勃発しました。

「北条時頼の廟所」と「北条時頼の墓」が明月院にあります
 ・かつて、この辺りには北条時頼が建てた最明寺があり、出家生活をここで送りまし
  たが、37歳で死去しました。
 時頼廟所.JPG

 北条時頼の墓.JPG

 ※「明月院」については、「北鎌倉のお寺を見る(福源山)」を参照。

「銭洗弁財天宇賀福神社」の「銭洗水」:「鎌倉五名水」の一つ
 ・「北条時頼」は、1257年「巳」の年に参拝し、金銭をこの水で洗い清めると同時に
  己の心身を清め行いを慎めば不浄の塵埃が消えて清浄の福銭になると人々に勧め、
  自ら率先して金銭を洗い一族の繁栄を祈ったといいます。
  以来多くの参詣者でにぎわうようになりました。
 銭洗弁財天宇賀福神社.JPG

 銭洗水.JPG

諸国行脚を重ねた北条時頼の廻国伝説・謡曲「鉢の木」
 旅僧姿の時頼が、ある日大雪に道を見失ってしまった。夕暮れ時であったため、荒れ果てた家に泊めてもらうことにした。
 家主は時頼とも知らずに粟飯をふるまい、暖をとるため薪の代わりに秘蔵の「梅、松、桜の鉢の木」をためらいもなく炉にくべてくれた。

 素性をたずねると、もとは佐野荘の領主で、今は一族に土地を奪われ落ちぶれているのだと答える。しかし、いざ鎌倉という時には、やせ馬にまたがっても一番に馳せ参じる覚悟だと鎌倉武士の心得を語るのであった。

 後年、軍勢を集めた時頼は、言葉に違わず一番に馳せ参じたこの武士の忠節ぶりに感激し、「鉢の木」にちなんで、梅田、松枝、桜井の各荘を領地として与えたというのである。 


posted by トシ999 at 08:00| Comment(0) | 鎌倉検定 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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