
今回は「鎌倉幕府初代将軍・源頼朝」です。
◎源頼朝 1147 〜1199年 | ・父は、源義朝、母は、藤原季範(熱田神宮の長官である大宮司)の娘。 ・1159年に平治の乱で敗れ、伊豆蛭ヶ小島に流されたが、平家打倒の兵を挙げ、1185年、壇ノ浦で平家を滅亡させました。 ・守護、地頭を設置、奥州藤原氏を滅亡させ、1192年に征夷大将軍。 ・最初の妻は伊豆の豪族伊東祐親の娘。正妻は北条時政の長女北条政子。 |
<源頼朝の系図>

<「源頼朝」の主な功績やその時代の出来事>
1180年、鶴岡八幡宮寺遷移 | ・源頼朝は、かつて源頼義が創建した鶴岡若宮(由比若宮)を小林郷松ヶ岡に移しました。 |
1180年、最初の幕府「大倉幕府」 | ・鎌倉幕府は鶴岡八幡宮の東側、大倉の地(現在の「清泉小学校」付近)に置かれました。 ・「大倉幕府」は、1180年から宇津宮辻子に移転する1225年までの45年間、この地にありました。 |
1182年、「段葛」造営 | ・源頼朝が妻政子の安産を願い、鶴岡八幡宮社頭から由比浦まで一直線の参道(若宮大路)を造りました。 ・頼朝自身がこれを指揮し、北条時政以下の人々も土石を運んだといいます。 |
1184年、「問注所」開設 | ・訴訟を裁許(判決)する「問注所」の近くには、その名に由来する裁許橋があります。 ・裁許橋は、1186年、西行が鎌倉に来たときの逸話を基に、別名「西行橋」ともいわれています。 |
「三大寺院」建立 ・鶴岡八幡宮 ・勝長寿院 ・永福寺 | ・1191年、火災で焼けた「鶴岡八幡宮」を現在のような上下両宮の姿に再建しました。 ・1185年、「勝長寿院」を建立し、平治の乱で敗死した父義朝の菩提を弔いました。 ・平泉の藤原泰衡や源義経をはじめとする内乱での戦死者の鎮魂と慰霊のため、平泉中尊寺の二階大堂(大長寿院)を模して「永福寺」を創建し、1194年、中心伽藍が完成しました。 |
「白山神社」(今泉)創建 | ・1191年、京都の鞍馬寺を詣でた源頼朝が、行基作といわれる毘沙門天像を賜り、今泉の地に勧請して創建しました。 |
補陀洛寺(材木座) | ・1181年、源頼朝の祈願所として創建されました。 ・開山は文覚。 ・江戸時代、たびたび竜巻に襲われたため、別名竜巻寺といいます。 |
随我山来迎寺(材木座) | ・1194年、源頼朝が三浦大介義明の菩提を弔うため、建立した真言宗能蔵寺がはじまりです。 ・1335年、音阿上人が時宗に改宗し、現在の名前に改名しました。 |
大巧寺門前の「頼朝戦評定所」の石碑 | ・源頼朝がこの寺で軍議のあと、大勝を収めたことにちなみます。 |
国宝「籬菊螺鈿蒔絵硯箱」(鶴岡八幡宮) | ・源頼朝が鶴岡八幡宮に奉納したと伝えられる硯箱で鎌倉時代を代表する漆工品の一つ。 ・後白河法皇から下賜されたともいわれます。 |
手斧始式(鶴岡八幡宮) (1月4日) | ・1191年の大火で焼けた社殿を源頼朝が再建する際、船から上げられた用材を由比ヶ浜より運んで木造りしたという御柱引きの故事に因む神事。 |
除魔神事(鶴岡八幡宮) (1月5日) | ・源頼朝が幕府において「御的始」「御弓始」と称して行った武家の事始めを起源とします。 ・大的の裏に「鬼」という字を封じ込めて矢を射ることから、「大的式」とも呼ばれます。 |
御鎮座記念祭(鶴岡八幡宮) (12月16日) | ・1191年11月21日、大火後の再建にあたり、石清水八幡宮の神霊を迎える儀式を執り行いました。 この時、京都より招かれた楽人・多好方が「宮人曲」を唱えたところ、神感の瑞相があり源頼朝の感激はひとしおであったと伝えられています。 |
草鹿(鎌倉宮) (5月5日) | ・1194年、源頼朝が富士の裾野で巻狩を催した際、草を束ねて鹿の形を作り、稽古したのが起源。 ・古式に則り2 組に分かれて鹿の形をした的に向かって矢を放ち、合計点数を競うもの。勝ち組の大将には神職から菖蒲が授与されます。 |
白旗神社(西御門) | ・祭神は源頼朝。古くは頼朝を祀る法華堂がありました。法華堂の創建は1189年。 ・1月13日には、白旗神社例祭が行われます。 |
源頼朝の墓 | ・1199年1月、源頼朝が死去(53歳)。 ・4月13日に源頼朝公墓前祭が行われます。 ・白旗神社(西御門)奥の山上に、鎌倉石の多層塔の「源頼朝の墓」があります。 |
<11月の「鶴岡八幡宮本宮(上宮)」>
<「問注所旧蹟」の石碑>
問注所には人々が群れ集まって、時には喧騒になることもあった。そこで、二代将軍頼家は、正冶元年、問注所を大蔵幕府の外に遷した。
この地が、即ちその問注所があった所である。
<「白旗神社」(西御門)と「頼朝の墓」>
<源頼朝にまつわる伝説>
挙兵をすすめるかくれ里の稲荷・佐助稲荷 | ・伊豆蛭ヶ小島に流されていた源頼朝は、挙兵をすすめる「かくれ里の稲荷」という神霊の託宣に従って挙兵したことから、畠山重忠に命じてその里で見つけた祠に社を建てさせたという。 |
隠れ里に湧く霊水・銭洗水 | ・1185年巳年、巳の月、巳の日、巳の刻、宇賀福神が翁の姿で源頼朝の夢枕に立ち、そのお告げで発見した泉という。 (その後、北条時頼の銭洗いの伝説につながります。) |
衣張山 | ・源頼朝は、暑い夏のある日、この山を「白い絹」で覆わせ、雪山に見せることによって涼を楽しんだという。 |
目に魚の鱗をはめ込んだ男 | ・「永福寺」建設の様子を見に出かけた源頼朝は、ふところに刀をしのばせ、左の眼には魚の鱗をはめ込み盲目を装っていた男を捕えた。 ・上総五郎兵尉忠光と名乗り、頼朝の命を狙っていたことを白状したため処刑されたという。 |