2019年07月17日

ふりかえり鎌倉―鎌倉の国宝の仏像(鎌倉検定:寺院・神社編(9))

鎌倉検定過去問を振り返り、鎌倉を楽しむ回として情報をお届けします。

今回は、「鎌倉の国宝の仏像について」です。
設問
@彫刻としては鎌倉唯一の国宝であり、民衆の浄財で完成したといわれる仏像がある寺はどこか。
A鎌倉で唯一国宝に指定されているこの仏像の正式名称は何か。
Bこの寺の境内の奥には、この仏像を詠った歌碑があるが、だれの歌碑か。

解答と解説
@高徳院
A銅造阿弥陀如来坐像
B与謝野晶子


大異山高徳院清浄泉寺(長谷)
 ・浄土宗。開山、開基ともに不明。
高徳院の境内図
 高徳院境内図.JPG

高徳院の「仁王門」
 高徳院仁王門.JPG

鎌倉大仏:国宝「銅造阿弥陀如来坐像」の春と秋
 春の大仏.JPG

 秋の大仏.JPG

・北条泰時の時代に、僧浄光が諸国を勧進して浄財を集め、1238年に造り始め、1243年に大仏開眼が行われました。この時、建立した大仏は木造でした。
・その後、1247年、大風で倒壊したため、1252年に現在の青銅像が鋳造され、大仏殿に安置されました。

・『鎌倉大日記』:明応4年(1495)に津波で大仏殿が流されたという。
・『妙法寺記』:明応7年(1498)に津波で大仏殿が流されたという。
・しかし、万里集九が、文明18年(1486)10月に鎌倉を訪れた時に、すでに大仏は露座であったと『梅花無盡蔵』に記しています。

与謝野晶子(1878〜1942年)
 ・歌人。与謝野鉄幹(寛)の妻。雑誌「明星」で活躍。
 ・歌集『みだれ髪』が反響を呼び、明治浪漫主義に新時代を開きました。
 ・たびたび鎌倉を訪れ、多くの歌を詠みました。

高徳院境内奥に建つ「与謝野晶子の歌碑」(1952年建立)
 「かまくらや みほとけなれど釈迦牟尼は 美男におはす 夏木立かな」
 与謝野晶子歌碑.JPG

 与謝野晶子歌碑.JPG

 鎌倉大仏横顔.JPG

 
posted by トシ999 at 08:00| Comment(0) | 寺院・神社 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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