2019年08月27日

ふりかえり鎌倉―銭拾い伝説(鎌倉検定:芸術・文化編(13))

鎌倉検定過去問を振り返り、鎌倉を楽しむ回として情報をお届けします。

今回は、「銭拾い伝説について」です。
設問
@「銭拾い伝説」に関係する5代執権北条時頼に仕えて活躍した武士は誰か。    
Aこの伝説は、どこの、何という橋での出来事から生まれているか。

解答と解説
@青砥藤綱
A小町、東勝寺橋


青砥藤綱の銭拾い伝説
・5代執権北条時頼に仕えて活躍したという青砥藤綱が、ある夜幕府に出向く途中、東勝寺橋の上で、袋に入れておいた十文の銭を滑川に落としてしまった。
 藤綱は家来に五十文で松明を買ってこさせ、沢床を照らして探しだした。

・この話を聞いた同僚が「藤綱は勘定知らずだ。十文探すのに五十文を使って損をしている」と笑った。
 すると「常人の勘定はそうだろう。しかし銭が川に沈んだままでは、永久に使われることはない。五十文で松明を買えば、それを造っている町民や、商っている商家も利益を得られる」と、笑った人々を諭したというのである。

鎌倉市景観重要建築物等の一つ「東勝寺橋」(小町)
 ・東勝寺跡の前にある滑川に架かる1924年(大正13)に建造されたアーチ橋です。
 東勝寺橋.JPG

 東勝寺橋.JPG

 東勝寺橋遠景.JPG

東勝寺橋のたもとにある「青砥藤綱旧蹟」の石碑
青砥藤綱旧蹟.JPG太平記によれば、藤綱は北条時宗、貞時の二代仕えて引付衆の役に連なった人物であるといわれています。
ある夜の出仕の際、誤って銭十文を滑川に落したので、五十文の松明を買って水の中を照らしてお金を探し、ついにそのお金を探し出しました。時に人々は小利大損と嘲け笑いました。
しかし藤綱は、「十文は小さいが、これを無くすことは天下の財産を無くすことである。五十文は自分の損であってもが、人々の為になったのである。」と諭しました。
この物語は、この辺りであったことと伝えられています。

浄明寺にある「青砥藤綱邸旧蹟」の石碑
 ・金沢街道の横を流れる滑川に「青砥橋」が架かっています。
  明王院と浄妙寺の間にあるこの橋を渡ると、青砥藤綱の屋敷の跡を示す「青砥藤綱邸
  旧蹟
」が建てられています。
 青砥藤綱邸跡.JPG

青砥藤綱(生没年不詳)
・北条時頼、時宗に仕えた鎌倉時代中期の武士。
 『太平記』では藤綱を北条時宗及び北条貞時の時代の人としています。
 『太平記』等に多くの逸話が残るが、実在を証明する史料がありません。
 
・江戸時代には、歌舞伎や浄瑠璃において庶民の理想とする為政者として描かれました。

 ※二世河竹黙阿弥が著した歌舞伎『青砥稿花紅彩画』(あおとぞうしはなのにしきえ)
  ・・・日本屈指の盗賊「白浪五人男」の活躍を描き、日本駄右衛門は
     青砥藤綱の手で縄にかかります。

 
posted by トシ999 at 08:00| Comment(0) | 芸術・文化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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