2019年10月21日

ふりかえり鎌倉―鎌倉宮の行事(鎌倉検定:行事編(12))

鎌倉検定過去問を振り返り、鎌倉を楽しむ回として情報をお届けします。

今回は、「鎌倉宮の行事について」です。
設問
@鎌倉宮では、毎月20日に月次祭が行われるが、これは祭神の月命日に祭神をしのんでのものである。この祭神とはだれか。
A鎌倉宮では、毎年5月5日に源頼朝が行った巻狩の伝統に則った弓の競技が行われるが、この行事は何か。
B鎌倉宮では、毎年10月上旬に鎌倉市観光協会主催で行われている行事があるが、この行事は何か。

解答と解説
@護良親王
A草鹿(くさじし)
B鎌倉薪能


鎌倉宮(二階堂)
 ・1869年(明治2)創建。祭神は、大塔宮(おおとうのみや)護良親王
 ・護良親王の遺志を後世に伝えることを望んだ明治天皇の勅命により創建されました。
 鎌倉宮鳥居_R.JPG

護良親王(1308〜1335年)
・後醍醐天皇の皇子。11歳で比叡山延暦寺の大塔に入室したことから「大塔宮」と称されました。
・20歳で天台座主になりましたが、後醍醐天皇の鎌倉幕府倒幕のための挙兵に応じて、還俗して「護良」と名乗り、倒幕で功績を挙げました。

・倒幕後、「護良親王」は、足利尊氏と対立し、1334年に捕えられ、鎌倉二階堂の「東光寺」の土牢に幽閉されました。
・1335年、北条高時の遺児北条時行の反乱(中先代の乱)で、反乱軍に破れた尊氏の弟足利直義は逃れる際に、家臣淵辺義博に親王の暗殺を命じ、護良親王は殺害されました。享年28歳。

鎌倉宮境内奥にある「護良親王の土牢」
 土牢.JPG

草鹿:5月5日
 ・1194年、源頼朝が富士の巻狩を催した際、草を束ねて鹿の形を作り、稽古したのが
  起源。
 ・5人ずつ二組に分かれた射手が、古式にのっとり鹿の形をした的を射て、組ごとの
  合計点数を競う神事。
 ・勝ち組の大将には神職から菖蒲が授与されます。
 草鹿1.JPG

 草鹿3.JPG

鎌倉薪能:10月上旬
 ・1959年(昭和34)より鎌倉市観光協会主催で始まった行事。
 ・境内の特設能舞台で、夕暮れから篝火を焚いて行われる能。
  →「鎌倉市HP:鎌倉薪能」を参照。

 ※なお、2019年は台風19号の接近に伴い、開催中止されました。

  
posted by トシ999 at 08:00| Comment(0) | 行事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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