2019年11月13日

ふりかえり鎌倉―鎌倉の伝説(日蓮を裏山の洞窟へ導いた動物)

鎌倉検定過去問を振り返り、鎌倉を楽しむ回として情報をお届けします。

今回は、「日蓮を裏山の洞窟へ導いた動物の伝説について」です。
設問
@日蓮が念仏門徒に松葉ヶ谷の草庵を焼き討ちされたとき、裏山の洞窟へ日蓮を導いたという逸話が残る動物は何か。
A日蓮が草庵を焼き討ちされたとき、この動物に導かれて最初に避難した場所とされる南面窟がある寺院はどこか。

解答と解説
@白猿
A(妙法華経山)安国論寺


日蓮を導いた白猿の伝説
・日蓮は真言宗や禅宗、律宗、浄土宗などの邪宗を廃し、法華経に帰依しなければ、「飢餓、兵革、疫病の三災いと、疾病、他国侵害、謀反、星宿変怪、日月薄蝕、暴風雨、早魃の七難におかされる」と説いて、『立正安国論』を前執権北条時頼に上書した。
・するとある夜、何千人という念仏門徒が、松葉ヶ谷の草庵を焼き討ちにした。この時、どこからともなく白猿が現れて、夜道を裏山の洞窟へと導いてくれた。おかげで日蓮は九死に一生を得たというのである。
・安国論寺には、この時のものといわれる「南面窟」が今も残されている。

妙法華経山安国論寺(大町)
 ・日蓮宗。1253年創建。開山は日蓮。
 ・安房国から鎌倉に入った日蓮が初めて庵を結んだ場所。
安国論寺の「本堂」と、その脇にある「猿の石像」
 安国論寺本堂_R.JPG

 猿の石像_R.JPG

松葉ヶ谷法難:1260年
・日蓮は「松葉ヶ谷」に庵を結びましたが、それは、「安国論寺」、「妙法寺」、「長勝寺」ともいわれており、どこなのかは明確にはなっていません。
・日蓮が北条時頼へ「立正安国論」を提出し、宗教政策の転換を促す内容であったため、松葉ヶ谷の草庵が念仏者に夜間襲撃され、草庵を焼き討ちにされた事件です。

白猿に導かれて最初に避難した場所とされる安国論寺の「南面窟」とその「内部」
 南面窟_R.JPG

 南面窟内部_R.JPG

その後、逃れたという名越切通に続く裏山にある「猿畠山法性寺」(逗子)
 法性寺_R.JPG

 猿畠山法性寺_R.JPG

日蓮が避難したという法性寺の「日蓮岩窟」
 日蓮岩窟_R.JPG

 
posted by トシ999 at 08:00| Comment(0) | 芸術・文化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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