2019年11月18日

鎌倉由比若宮の今は 2019.11

鎌倉鶴岡八幡宮の元となる「由比若宮(元八幡)」を、久しぶりに訪ねてみました。

由比若宮(元八幡)(材木座)
源頼義前九年合戦(1051〜1062)で陸奥国の安倍氏を滅ぼしました。
・1063年、その帰途に、相模守として鎌倉由比郷に、源氏の氏神である京都の石清水八幡宮を密かに勧請し、由比若宮を建立しました。今の元八幡です。
・1081年、頼義の子源義家は、この由比若宮を修理しました。
・1180年に鎌倉入りした源頼朝は、由比若宮を小林郷に遷し、鶴岡若宮と称し、鶴岡八幡宮寺を鎌倉の中心として整備しました。

・4月2日には、「由比若宮例祭」が、由比若宮(元八幡)で行われます。

由比若宮へ続く小道の入口に建つ「元鶴岡八幡宮」の石塔
 元鶴岡八幡宮.JPG

由比若宮(元八幡)の鳥居と社殿
 由比若宮1_R.JPG

 由比若宮2_R.JPG

 由比若宮3_R.JPG

後三年合戦で、源義家が旗を立てたという「源義家の旗立の松」
 源義家旗立の松.JPG

この一画には大正時代、作家の芥川龍之介が住んでいました:文学案内板
 文学案内板.JPG

芥川龍之介旧居跡
 東側のバス通りから、この元八幡に来る道の北側の一画は、大正時代には小山別荘と呼ばれ、敷地内には別棟の広い家があり、ここを借りて、小説家芥川龍之介が住んだ。
 芥川(1892−1927)は、明治二十五年東京に生まれ、大正五年七月に東京帝国大学英文科を卒業した。同年横須賀の海軍機関学校の嘱託英語教官となり、十一月に鎌倉由比ガ浜に下宿し、横須賀へ通うかたわら創作に励んだ。
 同六年に横須賀へ移ったが、翌七年二月に塚本文子と結婚し、三月にこの小山別荘内に新世帯を持った。間数は八畳二間その他三部屋に湯殿と台所という独立家屋で、庭に池があり、大きな芭蕉が五六本生えていた。大正八年に大阪毎日新聞社社員となり、創作に専念することになったので、四月に田端の実家に帰ったが、芥川はこの頃のことを、絶筆となった「或阿呆の一生」の中で、次のように書いている。

    十五 彼等
 彼等は平和に生活した。大きい芭蕉の葉の広がったかげに。―彼等の家は東京から汽車でもたっぷり一時間かかる或海岸の町にあったから。


 
posted by トシ999 at 08:00| Comment(0) | 日記_2019 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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