
今回は、「源翁禅師の殺生石の伝説について」です。
【設問】
@謡曲「殺生石」において、玉藻前に化け、見破られると「殺生石」になって人々に祟りをなしたが、ある寺院の開山源翁禅師により退治されたという動物は何か。 A開山源翁禅師とは、だれのことか。 Bこのある寺院とは、どこか。 |
【解答と解説】
@キツネ
A心昭空外
B(扇谷山)海蔵寺
◎扇谷山海蔵寺(扇ガ谷)
・1394年創建。開基は、上杉氏定。開山は、心昭空外(源翁禅師)。
鎌倉公方足利氏満の命により創建されました。
<海蔵寺の「案内板」と「山門」>
<源翁禅師の殺生石伝説>
・鳥羽天皇の時代、宮中で宴を開いていると急に屋敷が鳴動し、帝に侍っていた玉藻前(たまものまえ)が金色の光を発しました。天皇は気絶し、以来重い病にかかってしまいました。 玉藻前は実は狐の化身で、これがばれると逃げ去りました。追っ手が那須野原で射殺すると、天皇の病も全快しました。 ・ところが、那須野でこの狐の霊が石と化し、その石に触れると人や鳥獣がみな死んでしまうので、殺生石として恐れられるようになりました。 そこで、海蔵寺の開山心昭空外(源翁禅師)が経を読みながら鉄の杖で一撃を加えると、法力で殺生石は砕け散り、災いも止まったのだといいます。 ・この時、源翁禅師の使った鉄の杖が金槌のような形をしていたので、金槌を「げんのう」と呼ぶようになったということです。 ・なお、天皇の命によって狐を討った武士は、三浦大介義明と上総介広常といわれています。 |
<「本堂」と薬師三尊像が祀られている「薬師堂」>
・薬師如来は、病を癒してくれる仏様として信仰されています。 両脇侍には、向かって左に「月光菩薩」、右に「日光菩薩」が配置されるのが一般的です。 ・本尊の薬師如来像は、坐像の胴体部分にもう一つの薬師の顔を納めた珍しい仏像です。 別名、啼(なき)薬師、児護(こもり)薬師と呼ばれています。 |
※なお、海蔵寺には、もう一つ次のような伝説もあります。
<啼薬師(児護薬師)の伝説>
・昔、寺の近くの山から毎夜子どもの泣き声がしました。 ・ある日、禅師が泣き声のするところに行くと、泣き声は古い墓石の下から聞こえてきました。そこで、禅師は経を読み、袈裟をぬいで墓にかけると、赤子の泣き声は止みました。 ・翌日、地面を掘ってみると薬師如来像の頭部が掘り出されました。そこで禅師は新たに薬師如来像を造立し、この頭部を腹部に納めて祀ることにしました。 ・現在、薬師堂の薬師如来の腹部は扉になっていて、普段は閉まっていますが、61年ごとに扉が開き拝観できるということです。 (下記の写真参照。) |