2019年11月19日

ふりかえり鎌倉―鎌倉の伝説(源翁禅師の殺生石)

鎌倉検定過去問を振り返り、鎌倉を楽しむ回として情報をお届けします。

今回は、「源翁禅師の殺生石の伝説について」です。
設問
@謡曲「殺生石」において、玉藻前に化け、見破られると「殺生石」になって人々に祟りをなしたが、ある寺院の開山源翁禅師により退治されたという動物は何か。
A開山源翁禅師とは、だれのことか。
Bこのある寺院とは、どこか。

解答と解説
@キツネ
A心昭空外
B(扇谷山)海蔵寺


扇谷山海蔵寺(扇ガ谷)
 ・1394年創建。開基は、上杉氏定。開山は、心昭空外(源翁禅師)
  鎌倉公方足利氏満の命により創建されました。

海蔵寺の「案内板」と「山門」
 海蔵寺案内板_R.JPG

 海蔵寺山門_R.JPG

源翁禅師の殺生石伝説
・鳥羽天皇の時代、宮中で宴を開いていると急に屋敷が鳴動し、帝に侍っていた玉藻前(たまものまえ)が金色の光を発しました。天皇は気絶し、以来重い病にかかってしまいました。
 玉藻前は実は狐の化身で、これがばれると逃げ去りました。追っ手が那須野原で射殺すると、天皇の病も全快しました。

・ところが、那須野でこの狐の霊が石と化し、その石に触れると人や鳥獣がみな死んでしまうので、殺生石として恐れられるようになりました。
 そこで、海蔵寺の開山心昭空外(源翁禅師)が経を読みながら鉄の杖で一撃を加えると、法力で殺生石は砕け散り、災いも止まったのだといいます。

・この時、源翁禅師の使った鉄の杖が金槌のような形をしていたので、金槌を「げんのう」と呼ぶようになったということです。
・なお、天皇の命によって狐を討った武士は、三浦大介義明と上総介広常といわれています。

「本堂」と薬師三尊像が祀られている「薬師堂」
 海蔵寺本堂_R.JPG

 海蔵寺薬師堂_R.JPG

 海蔵寺薬師三尊像_R.JPG

薬師如来は、病を癒してくれる仏様として信仰されています。
 両脇侍には、向かって左に「月光菩薩」、右に「日光菩薩」が配置されるのが一般的です。
・本尊の薬師如来像は、坐像の胴体部分にもう一つの薬師の顔を納めた珍しい仏像です。
 別名、啼(なき)薬師児護(こもり)薬師と呼ばれています。


 ※なお、海蔵寺には、もう一つ次のような伝説もあります。
啼薬師(児護薬師)の伝説
・昔、寺の近くの山から毎夜子どもの泣き声がしました。
・ある日、禅師が泣き声のするところに行くと、泣き声は古い墓石の下から聞こえてきました。そこで、禅師は経を読み、袈裟をぬいで墓にかけると、赤子の泣き声は止みました。

・翌日、地面を掘ってみると薬師如来像の頭部が掘り出されました。そこで禅師は新たに薬師如来像を造立し、この頭部を腹部に納めて祀ることにしました。

・現在、薬師堂の薬師如来の腹部は扉になっていて、普段は閉まっていますが、61年ごとに扉が開き拝観できるということです。
 (下記の写真参照。)

 海蔵寺薬師如来.JPG

 
posted by トシ999 at 08:00| Comment(0) | 芸術・文化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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