2019年12月05日

2019年鎌倉検定3級の問題から見る鎌倉(2)−永享の乱

今回は、2019年11月に行われた鎌倉検定の3級の問題から、いくつか取り上げて鎌倉を振り返ってみましょう。

今回は、「永享の乱」についてです。
[1]鎌倉の歴史・旧跡に関する記述について,最も適当なものを1 〜 4 から選びなさい。
 ⑺ 永享の乱で,将軍足利義教に討たれた鎌倉公方はだれか。
   1 足利氏満  2 足利持氏  3 足利成氏  4 足利義満
 

 ・鎌倉公方は、2代足利氏満の頃から室町幕府と対立し始めました。
 ・「永享の乱」とは、鎌倉公方4代「足利持氏」がその意思を明確にしたため、起きた
  乱です。

正解は、「2 足利持氏」です。 

永享の乱(1438年)
 ・「読んで分かる中世鎌倉年表」より
(31)永享10年(1438)6月
 足利持氏の子賢王丸が鶴岡八幡宮で元服する。上杉憲実は持氏に対して、先例に従い室町将軍の偏諱を請うように勧める。
 しかし持氏は聞き入れず、将軍の通字を入れて「義久」と名付ける。
 8月、持氏が上野に退避した憲実を討とうとするに至って、幕府は持氏討伐を決定する。
 後花園天皇に治罰の綸旨と錦旗を要請し、駿河守護今川範忠・陸奥篠川御所満直らに出兵を命じる(永享の乱)。

 ・賢王丸元服に際しては、将軍足利義教の「教」を付けた名前にしなければなりません
  でした。
 ・足利持氏は、永安寺(現在は廃寺)で出家したが、永享11年(1439)2月10日、
  上杉憲実はこの寺を襲って、持氏らを自害させました。

足利持氏(1398〜1439年)
 ・足利満兼の子で、第4代鎌倉公方。

室町幕府と鎌倉公方の系図
 足利義教と持氏の系図.jpg

別願寺(大町)にある「足利持氏の供養塔」
 ・「別願寺」は、足利一族が信仰し、鎌倉公方代々の菩提寺として栄えました。
  ここに大きな石の宝塔の「足利持氏の供養塔」があります。
  供養塔には、持氏の怒りを静めるために四方に鳥居の浮彫りがあります。
 別願寺足利持氏供養塔.JPG

 持氏供養塔鳥居.JPG

 
posted by トシ999 at 08:00| Comment(0) | 鎌倉検定(過去問) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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