2020年12月28日

鎌倉に伝わる伝説のまとめ(3/3)

鎌倉に伝えられている「伝説」について、鎌倉検定公式テキストブックには、17件の伝説が載っています。
これらを3回に分けて、まとめてみました。

第3回は、残りの5件の伝説についてです。
L源翁禅師の殺生石伝説・源翁禅師によって殺生石が打ち砕かれ、災いも止まったという伝説。
海蔵寺境内_R.JPG・天皇を病にした玉藻前(狐の化身)が射殺され、その霊が石(殺生石)と化し災いをもたらしたが、海蔵寺の開山、心昭空外(源翁禅師)の一撃により砕け散り、災いも止まったという。
(右:海蔵寺境内)
⇒「ふりかえり鎌倉―鎌倉の伝説(源翁禅師の殺生石)
M頼朝の夢枕に立つ神霊・源頼朝の伊豆挙兵を助けた神霊が、佐助稲荷だという伝説。
佐助稲荷鳥居_R.JPG・伊豆に流されていた頼朝は、病床の枕元に現れた「かくれ里の稲荷」の神霊に挙兵を進められ、後に幕府を開くと、その神霊に感謝して佐助ヶ谷の祠を見つけ佐助稲荷を再興したという。
(右:佐助稲荷鳥居)
⇒「鎌倉ゆかりの人物―源頼朝のあれこれ
N隠れ里に湧く霊水・源頼朝が、洞窟の中の泉を見つけ、宇賀福神を祀ったのが銭洗弁財天宇賀福神社だという伝説。
銭洗水_R.JPG・巳年巳の月巳の日巳の刻、頼朝は、夢に現れた宇賀福神に神泉の水による世の繁栄のお告げを受けて洞窟の泉を探し、そこに宇賀福神を祀り、後に北条時頼がこの水で銭を洗うことを勧め、人々はその行いにより幸福利益を得たという。
(右:銭洗弁財天宇賀福神社銭洗水)
⇒「源頼朝や北条時頼にまつわる神社のこと−(2018年鎌倉検定1級の問題から)
O三浦の浜に流れついた観音像・相模国の浜に流れついた観音像で開山したのが長谷寺だという伝説。
長谷寺観音堂_R.JPG・徳道が楠の霊木から作った二体の観音像のうち、一体は奈良長谷寺に安置し、もう一体は海に流したが、像は相模国の浜に流れつき、現在地に遷されて開山したのが鎌倉長谷寺だという。
(長谷寺観音堂)
⇒「ふりかえり鎌倉―鎌倉の伝説(三浦の浜に流れついた観音像)
P龍神に祈った新田義貞・新田義貞は、龍神に祈り、鎌倉に攻め入ることができたという伝説。
稲村ヶ崎_R.JPG・義貞は鎌倉攻めで、稲村ヶ崎から侵入できないでいたが、腰に差していた黄金造りの太刀を海に投げ龍神に祈ったら、潮が引いて干潟を渡り、鎌倉へ攻め入ることができたという。
(稲村ヶ崎)
⇒「鎌倉ゆかりの人物―新田義貞のあれこれ


 
posted by トシ999 at 07:00| Comment(0) | 芸術・文化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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