2021年03月01日

鎌倉の歴史のまとめ−鎌倉時代(第8代将軍久明親王)

「鎌倉検定公式テキストブック」から、「鎌倉の歴史」についてまとめていきます。
鎌倉時代は征夷大将軍の時代(全9代)で分けています。

鎌倉時代(第8代将軍久明親王)
 ・1289年、後深草上皇の子「久明親王」が、征夷大将軍に任ぜられました。
 ・1308年、久明親王は征夷大将軍を解任され、京都に送還されました。
 ・久明親王の時代、執権は、北条貞時→師時と続きました。

久明親王の系図
 久明親王系図.jpg

北条時政〜北条師時の執権の系図
 執権師時の系図.jpg

「久明親王」の時代の主な出来事
1289年
久明親王が第8代将軍就任
・持明院統の後深草上皇の子「久明親王」が、征夷大将軍に任ぜられました。
・前将軍惟康親王は、京都に送還されました。
1293年
平禅門の乱
・「北条貞時」は、内管領の平頼綱が権力を持ちすぎ、独断・専横を止めるため、頼綱の館を襲撃しました。頼綱は自害、子の飯沼資宗も討たれました。
1296年
覚園寺創建
・「北条貞時」が、覚園寺を創建。この寺は、北条義時創建の大倉薬師堂を前身とする。
・貞時は、再度の元軍の来襲を退けることを祈願して、心慧上人を開山とし、鷲峰山覚園寺と寺号を定めました。
1297年
永仁の徳政令
・「北条貞時」は、困窮する御家人を救済するため、徳政令を出しました。
・御家人には売買、質入れした所領が無償で戻ることとなったが、かえって経済的な破綻を生み出すことになりました。
1301年
円覚寺梵鐘の鋳造
北条師時が執権就任
・「北条貞時」は、鎌倉一の大きな円覚寺の梵鐘を鋳造させました。撰文は西澗子曇、鋳物師は物部国光。

・「北条師時」が10代執権に、北条時村が連署に就任。この師時の執権就任は、貞時の子高時が成人するまでの間の中継。
1305年
嘉元の乱
・連署「北条時村」が殺害されました。事件の張本人は北条時宗の弟宗頼の子「宗方」。
・宗方は、自分よりも先に従兄弟の師時が執権に就任したことに不満を持ち、師時や長老時村を殺害しようとした事件だといわれています。
1308年
久明親王が将軍解任
・「久明親王」は、征夷大将軍を解任されて、京都に送還されました。

覚園寺「山門」と「愛染堂」
 覚園寺山門_R.JPG

 覚園寺愛染堂_R.JPG

鎌倉三名鐘の一つ円覚寺の「梵鐘(洪鐘)」
 ※鎌倉三名鐘:常楽寺梵鐘(1248年)、建長寺梵鐘(1255年)
        円覚寺梵鐘(1301年)
 洪鐘_R.JPG

 ※常楽寺梵鐘→「鎌倉国宝館の収蔵品」を参照。

北条時村、北条師時、北条宗方の関係系図
 師時・時村・宗方の系図.jpg

 
posted by トシ999 at 07:00| Comment(0) | 歴史・旧跡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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