
北条義時の没後、供養のために墳墓堂(法華堂)が建てられました。
それは、源頼朝の法華堂の東の山上にあったと推定されています。(吾妻鏡による)
※2005年(平成17)に行われた発掘調査で、建物跡が確認されました。
◎法華堂跡(北条義時墓)(西御門)
<「法華堂跡(源頼朝墓・北条義時墓)」の説明板>
<「史跡法華堂跡(源頼朝墓・北条義時墓)」の石塔>
<「法華堂跡」とされる平場の現在の様子>
・建物の範囲を杭とロープで表示しています。(杭:礎石、ロープ:雨落ち溝)
<NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」にちなんだ説明板も設置>
・ゆかりの人物として「北条義時、三浦義澄、大江広元」が記されています。

<平場の背後にある三浦義澄の孫・泰村など「三浦一族の墓」とされるやぐら>
<平場の背後の山上にある「大江広元の墓」(三つあるやぐらの中央)>
<「薩摩藩・長州藩ゆかりの墓が並ぶ法華堂跡」の説明板>
・源頼朝の墓の下にある「よりとも児童遊園」の横に建てられた説明板です。