2022年03月27日

鎌倉妙本寺の蛇苦止堂のこと

♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦
鎌倉検定に向けて、鎌倉散策で気づいたワンポイントを紹介していきます。

今回は、源頼家の妻・若狭局ゆかりの「蛇苦止堂」についてです。
妙本寺は、「鎌倉殿の13人」のひとり比企能員ゆかりの寺です。

長興山妙本寺(大町)
 ・1260年創建。開山は日蓮。開基は比企能員の子、比企能本。
 ・山号の「長興」は比企能本の父能員の法号、寺号の「妙本」は母の法号。
 ・境内には、頼家の嫡男の「一幡」、娘の「竹御所」を供養する石碑などがあります。

蛇苦止堂
・「比企ヶ谷」の妙本寺にあり、源頼家の妻・若狭局(比企能員の娘)を祀っています。
・1203年、比企氏の乱で比企一族は北条時政に滅ぼされ、若狭局の子で6歳の一幡も殺害され、若狭局は家宝を抱いて井戸に飛び込んだということです。

・1260年、北条政村の娘に突然「讃岐局」を名乗る怨霊が乗り移り、娘は錯乱して大蛇となって苦しんでいるというのです。
・その後、政村は、大蛇となって娘に乗り移った若狭局(=讃岐局)の怨霊を鎮めるため、蛇苦止明神として祀り、若狭局(=讃岐局)を供養し加持祈祷をした結果、政村の娘は癒したといいます。

妙本寺の「蛇苦止堂」の場所
 ・妙本寺の総門を入ってしばらく先を進み、左側の上りの道を行きます。
 妙本寺境内図_R.JPG

「蛇苦止堂」とその周辺の様子
 蛇苦止堂1_R.JPG

 蛇苦止堂2_R.JPG

蛇苦止の井
 ・比企氏の乱の際に、若狭局が家宝を抱いて飛び込んだとする井戸>
 蛇苦止堂井戸_R.JPG



※境内にある源頼家の嫡男の「一幡」、娘の「竹御所」を供養する石碑
一幡の袖塚
 一幡袖塚_R.JPG

竹御所(源媄子(よしこ))の墓
 竹御所(源よし子)の墓_R.JPG

 
posted by トシ999 at 07:00| Comment(0) | 歴史・旧跡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: