
今回は、「“前浜”と呼ばれた場所」についてです。
[1]鎌倉の歴史・旧跡に関する記述について,最も適当なものを1 〜 4 から選びなさい。 ⑾ 鎌倉時代には「前浜」と呼ばれ,小笠懸や流鏑馬,犬追物などの武芸の修練場とされていたのはどこか。 1 七里ヶ浜 2 由比ヶ浜 3 片瀬東浜 4 稲村ヶ崎 |
・七里ヶ浜:稲村ヶ崎から小動岬までの約2.9キロメートルの海岸。
・由比ヶ浜:鎌倉時代には「前浜」とも呼ばれました。
・片瀬:片瀬川の曲流により、堆積面が瀬になるからというのが地名の由来。
・稲村ヶ崎:鎌倉の海岸線を由比ヶ浜と七里ヶ浜に分ける岬。
正解は、「2 由比ヶ浜」です。 |
※由比ヶ浜は、「鎌倉の地名の由来を見てみました(7)」を参照。
◎由比ヶ浜(ゆいがはま)
・鎌倉時代には「前浜」とも呼ばれました。
・名前の由来は、由比郷内にあったからとも、「結」という相互に助け合う組合のような組織の名からきているともいわれています。
<「由比ヶ浜」に関するトピックス>
・由比ガ浜3丁目の「長谷小路周辺遺跡」発掘調査(2016年(平成28))で、由比ヶ浜の砂丘上から古墳時代の箱式石棺墓が出土。

・鎌倉時代前期の海道記には、鎌倉が繁栄していた様子が次のように記されています。
“由比ヶ浜には、「数百艘の船がつながれていて、近江の大津浦のようである」”
・1213年の和田合戦では、和田義盛軍が北条軍に押されに退いた所が由比ヶ浜。
翌日、由比ヶ浜や若宮大路で戦闘が行われ、義盛らが戦死して合戦は終結しました。
・1880年(明治13)、ドイツの医学者ベルツ博士が、「鎌倉は保養地として最適な地である」と紹介しました。
・1884年(明治17)、医師長与専斎が、由比ヶ浜を「鎌倉の浜辺は海水浴場として理想的な海」と紹介しました。
また、由比ヶ浜に別荘を建て、1887年(明治20)、日本初のサナトリウム(結核療養所)「海浜院」を開設しました。
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