
今回は、「鎌倉幕府が置かれた場所」についてです。
[1]鎌倉の歴史・旧跡に関する記述について,最も適当なものを1 〜 4 から選びなさい。 ⒀ 源氏三代と尼将軍とも呼ばれた北条政子の時代に,幕府が置かれた場所とされる旧跡はどこか。 1 宇津宮辻子幕府跡 2 大倉幕府跡 3 若宮大路幕府跡 4 由比若宮幕府跡 |
・宇津宮辻子幕府:1225年、将軍御所が「大倉」から「宇津宮辻子」に移されました。
・大倉幕府:1180年、最初の幕府が置かれました。
・若宮大路幕府:1236年、宇津宮辻子幕府から若宮大路幕府に移りました。
・由比若宮幕府:存在しませんでした。
正解は、「2 大倉幕府跡」です。 |
※大倉幕府は、「ふりかえり鎌倉―鎌倉幕府の開府(鎌倉検定:歴史・旧跡編(3))」を参照。
◎鎌倉幕府の沿革
<鎌倉幕府跡の地図>

<初め大蔵の地にあった鎌倉幕府跡(雪ノ下)>
<大倉幕府旧蹟の石碑>
いわゆるこれが大蔵幕府です。
以来、頼家、実朝を経て、嘉禄元年(1225年)、政子が亡くなり、幕府が宇津宮辻に移るまで、この地が幕府の中心であったのは実に46年間でした。
大倉幕府 1180〜1225年 | ・1180年、源頼朝は、かつて源頼義が創建した鶴岡若宮(由比若宮)を小林郷松ヶ岡に移しました。 ・最初の幕府「大倉幕府」は、鶴岡八幡宮の東側、大倉の地(現在の「清泉小学校」付近)に置かれました。 ・「大倉幕府」は、1180年から宇津宮辻子に移転する1225年までの45年間、この地にありました。 |
宇津宮辻子幕府 1125〜1236年 | ・1224年に2代執権北条義時が、1225年に北条政子も亡くなると、北条泰時は幕府を大倉から「宇津宮辻子」に移しました。 ・北条泰時は、この地に幕府を移し、4代将軍藤原頼経を擁して、1225年から1236年までの約11年間、執権として政務にあたりました。 ・現在、宇津宮辻子幕府跡には宇都宮稲荷が祀られています。 |
若宮大路幕府 1236〜1333年 | ・1236年、北条泰時は、宇津宮辻子幕府を北側に位置する若宮大路幕府へ移転させました。 ・この移転により鎌倉の町の中心は、鶴岡八幡宮とそれから延びる若宮大路に移って行きました。 ・若宮大路幕府は、1236年〜1333年まで、97年間の将軍御所でありました。 ・この間、将軍は、「藤原頼経→藤原頼嗣→宗尊親王→惟康親王→久明親王→守邦親王」と代わっていきました。 |
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