2023年01月27日

2022年鎌倉検定3級の問題から見る鎌倉(14)−大倉幕府跡の裏山にあった持仏堂

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2022年11月に3年ぶりに行われた鎌倉検定の3級の問題から、鎌倉を振り返ってみましょう。

今回は、「大倉幕府跡の裏山にあった持仏堂」についてです。
[1]鎌倉の歴史・旧跡に関する記述について,最も適当なものを1 〜 4 から選びなさい。
 ⒁ 大倉幕府跡の裏山にあった持仏堂に葬られ,江戸時代に造られた墓所が現在も残る人物はだれか。
  1 大江広元  2 北条義時  3 源頼朝  4 北条政子

 ・源頼朝は、53歳で死去後、自身の持仏堂であった法華堂に祀られました。

正解は、「3 源頼朝」です。

 ※大倉幕府跡の裏山の持仏堂は、「源頼朝の墓を訪れる 2020.10」を参照。

源頼朝の墓(西御門)
「源頼朝の墓」の場所
 白旗神社 頼朝の墓地図.jpg

「源頼朝の墓」の案内板
 源頼朝墓案内板_R.JPG

 ・「源頼朝の墓」は、江戸時代に頼朝の子孫と称した薩摩藩主・島津重豪が建てたもの
  で、この辺りが法華堂跡とされ、もとは頼朝の持仏堂でした。
 源頼朝の墓_R.JPG

白旗神社前に建っている「法華堂跡」の石碑
法華堂跡石碑.JPG
・堂はもと頼朝の持仏を祀っていましたが、頼朝の死後その廟所になりました。

・建暦三年(1213年)5月、和田義盛が、反乱を起こし、火を幕府に放った時、将軍実朝が避難したのがこの場所です。

・宝治元年(1247年)6月5日、三浦泰村がここにこもり、北条軍を迎え撃ったが、刀折れ矢尽きて一族郎党500人ばかり自殺し、庭一面を赤黒色に染めた場所でもあります。

<白旗神社由緒記>
 白旗神社由緒記_R.JPG

 
posted by トシ999 at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 鎌倉検定(過去問) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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