
今回は、「大倉幕府跡の裏山にあった持仏堂」についてです。
[1]鎌倉の歴史・旧跡に関する記述について,最も適当なものを1 〜 4 から選びなさい。 ⒁ 大倉幕府跡の裏山にあった持仏堂に葬られ,江戸時代に造られた墓所が現在も残る人物はだれか。 1 大江広元 2 北条義時 3 源頼朝 4 北条政子 |
・源頼朝は、53歳で死去後、自身の持仏堂であった法華堂に祀られました。
正解は、「3 源頼朝」です。 |
※大倉幕府跡の裏山の持仏堂は、「源頼朝の墓を訪れる 2020.10」を参照。
◎源頼朝の墓(西御門)
<「源頼朝の墓」の場所>

<「源頼朝の墓」の案内板>
・「源頼朝の墓」は、江戸時代に頼朝の子孫と称した薩摩藩主・島津重豪が建てたもの
で、この辺りが法華堂跡とされ、もとは頼朝の持仏堂でした。
<白旗神社前に建っている「法華堂跡」の石碑>
・堂はもと頼朝の持仏を祀っていましたが、頼朝の死後その廟所になりました。
・建暦三年(1213年)5月、和田義盛が、反乱を起こし、火を幕府に放った時、将軍実朝が避難したのがこの場所です。
・宝治元年(1247年)6月5日、三浦泰村がここにこもり、北条軍を迎え撃ったが、刀折れ矢尽きて一族郎党500人ばかり自殺し、庭一面を赤黒色に染めた場所でもあります。
<白旗神社由緒記>
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