
今回は、「鶴岡八幡宮寺の旧跡」についてです。
[1]鎌倉の歴史・旧跡に関する記述について,最も適当なものを1 〜 4 から選びなさい。 ⒂ 鶴岡八幡宮が明治初年まで鶴岡八幡宮寺であったことを示す旧跡は何か。 1 法華堂跡 2 永福寺跡 3 二十五坊跡 4 太平寺跡 |
・1868年(明治元)、神仏分離令と廃仏毀釈で、鶴岡八幡宮寺は「鶴岡八幡宮」と
なりました。
・鶴岡八幡宮の西北、小袋坂の曲がり角辺りの一帯は、江戸幕末まで鶴岡八幡宮の社役
を務める供僧達の僧坊(供僧坊)がありました。
正解は、「3 二十五坊跡」です。 |
※鶴岡八幡宮寺の旧跡は、「ふりかえり鎌倉―日本で最初の「ナショナルトラスト運動」(鎌倉検定:自然・景観編(2))」を参照。
◎二十五坊跡(雪ノ下)
<「二十五坊跡」と呼ばれる国の史跡が残る「御谷」の場所>

<鶴岡八幡宮寺の御坊「二十五坊旧蹟の石碑」>
あの別当公暁が実朝の首を手にして潜んだという後見人の備中阿闍利の住居もまたこの地にありました。
応永中(1394〜1428年)、院宣により坊の呼び名を院に変えました。
戦国時代に入ってからは、鎌倉管領の衰えと共に各院とも次第に廃絶し、天正の末(1592年)にはわずか7院だけになりました。
文禄中(1592〜1596年)に、徳川家康が5院を再興して12院になりましたが、 明治維新の後はついに全て無くなりました。
<二十五坊跡の説明板>
<二十五坊跡(御谷)>
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