
今回は、「鎌倉の文学」についてです。
[6]次の文の〔 @ 〕,〔 A 〕に最も適当な語句を書きなさい。 ただし,〔 @ 〕,〔 A 〕両方できて正解とする。 (57) 〔 @ 〕,〔 A 〕ともに漢字で書きなさい。 1985 年(昭和60)には鎌倉文学館がオープンし,初代館長に〔 @ 〕が就任した。そして,2001 年(平成13)には新しい時代の鎌倉ペンクラブが誕生し,〔 A 〕が初代会長になった。 |
・1936年(昭和11)、久米正雄の呼びかけで「鎌倉ペンクラブ」が結成されました。
・1961年(昭和36)、鎌倉ペンクラブ解散となったが、2001 年(平成13)に復活。
※鎌倉文学館は、「鎌倉文学館の今は 2023.3」を参照。
正解は、「@永井龍男、 A三木卓」です。 |
◎鎌倉文学館(長谷)
・1936年(昭和11)に旧加賀藩前田家16代当主前田利為により建築された、鎌倉の別荘建築を代表する建物です。 ・ノーベル平和賞を受賞した元内閣総理大臣佐藤栄作が別荘として利用し、三島由紀夫の小説『春の雪』の一舞台ともなりました。 ・1983年(昭和58)に前田家より鎌倉市に寄贈され、1985年(昭和60)から「鎌倉文学館」として公開されています。 ・相模湾を見渡す谷戸の中腹にある立地を生かした、明るく眺望の良い庭があります。 ※鎌倉文学館は、2023年3月27日(月)〜2027年3月31日(水)まで大規模改修が行われ、休館です。 |
◎永井龍男(1904年(明治37)〜 1990年(平成2))
・小説家。1934年(昭和9)に二階堂に転入、1953年(昭和28)から没年1990年(平成2)まで雪ノ下に居住。
・『一個』、『冬の日』、『青梅雨』など情感こまやかな短編を著し、「短編の神様」と称されました。
・1985年(昭和60)、鎌倉文学館の初代館長を務めました。
◎鎌倉ペンクラブ、鎌倉文士
・1936年(昭和11)、久米正雄の呼びかけで「鎌倉ペンクラブ」が結成されました。 ・彼らは「鎌倉文士」と呼ばれ、活躍しました。 ・川端康成、里見ク、小林秀雄、大佛次郎など鎌倉在住の文学者などが名を連ね、大いに親睦を深める場となりました。会員数は73名(1947年(昭和22))にも達しました。 ・1983年(昭和58)以降、小林秀雄、里見ク、今日出海など「鎌倉文士」たちは次々と世を去りました。 ・1961年(昭和36)、鎌倉ペンクラブは解散となりました。 ・2001年(平成13)には、三木卓、井上ひさし、(株)かまくら春秋社の伊藤玄二郎代表により復活し、新しい時代の鎌倉ペンクラブが誕生し、三木卓が初代会長になりました。 |
◎三木卓(1935年(昭和10)〜 )
・小説家・詩人・翻訳家。
・1994年(平成6)、雪ノ下に移住。
・2001年(平成13)、第2次鎌倉ペンクラブの初代会長。
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