⑹ 次の神社を建立された年代の古い順に並べるとき,正しい順序はどれか。 1 甘縄神明神社→巽神社→荏柄天神社→鎌倉宮→葛原岡神社 2 甘縄神明神社→荏柄天神社→巽神社→鎌倉宮→葛原岡神社 3 甘縄神明神社→巽神社→荏柄天神社→葛原岡神社→鎌倉宮 4 甘縄神明神社→荏柄天神社→巽神社→葛原岡神社→鎌倉宮 |
→鎌倉検定公式テキストブック P126、127、129、130参照。
正確な年代を知らなくても、各神社の由諸を知っていれば、年代が離れているので見当が付きます。
正解は下表の順番の通りです。
甘縄神明神社 (長谷) →「はせのわホームページの観光スポット」を参照ください。 | 710年創建。長谷の鎮守。 祭神は天照大神。 行基が草創し、豪族染屋時忠(由比の長者)が建立した鎌倉で一番古い神社とされている。 源頼義が当社に祈願して子宝(八幡太郎義家)を授かったことから、源氏との縁が深い神社として信仰される。 頼義や義家は社殿を修復し、頼朝も社殿を修理し荒垣や鳥居を建てたという。北条政子や実朝も参詣したと伝えられる。 |
巽神社 (扇ガ谷) | 801年創建。 蝦夷征伐に向かう途中の坂上田村麻呂が葛原ヶ岡に勧請したのが始まりとされる。 1049年、源頼義が社殿を改修したとも伝えられる。 壽福寺の鎮守として崇められ、寺の巽の方角(南東)に位置するところから、この名がついたという。 |
荏柄天神社 (二階堂) →「荏柄天神社のホームページ」を参照ください。 | 1104年創建。 主祭神は菅原道真。 にわかにかき曇った天から天神画像が降ってきたのを人々は恐れ、その場所に社殿を造営し、画像を納めたと伝えられる。 京都の北野天満宮、福岡の大宰府天満宮とともに、日本三大天神のひとつ。天神とは学問の神様として知られる菅原道真のこと。 源頼朝は幕府の鬼門の守護神として荏柄天神社を崇敬したとされる。 |
鎌倉宮 (二階堂) →「鎌倉宮のホームページ」を参照ください。 | 1869年(明治2)創建。 祭神は大塔宮護良親王。 護良親王の遺志を後世に伝えることを望んだ明治天皇の勅命により創建された。 鎌倉宮の名も天皇自らつけられた。 護良親王は後醍醐天皇の皇子として生まれ、11歳で比叡山延暦寺の大塔に入室したことから「大塔宮」と称された。 20歳で天台座主になったが、後醍醐天皇の鎌倉幕府倒幕のための挙兵に応じて、還俗して護良と名のった。 |
葛原岡神社 (梶原) →「葛原岡神社のホームページ」を参照ください。 | 1887年(明治20)創建。 由比ヶ浜の鎮守。 祭神は文章博士の日野俊基。 俊基は後醍醐天皇に仕えた公家で、討幕計画に参加したかどで葛原ヶ岡で殺害された。 処刑の直前に俊基は「秋をまたで葛原岡に消ゆる身の露のうらみや世に残るらん」と詠んだという。 |
つづく・・・
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